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部員日記

新井公貴:1寸は3.03㎝

天智龍から回ってきました。

ハードルブロック4年の新井公貴です。

 

天智龍との出会いは2019年の国体準決勝です。高校時代のベストだったので何度か見返していたのですが、動画にはチーム鹿児島の「天智龍頑張れー!ファイト―!」の声が溢れていました。早稲田に合格し、スポーツ推薦のメンバーを見るとそこには聞きなじみのある「TENNJIROU」の文字。ほぼ同タイムで入学し、肩を並べて成長していくのだろうと胸を躍らせ入学しました。結果的には天智龍は178㎝、僕は175cmと3cmの差があり、肩は並ばず引退の季節になりました。2年の5月ほどまでは天智龍と直接対決の勝敗を数えていましたが、今となっては勝負と口にするのもおこがましい程でタイムは1秒以上の差が開いてしまいました。この3㎝が大きな影響を与えると思うと、1寸法師が鬼を倒すほどの活躍をしたのも納得です(?)。もちろん、身長が競技力の分かれ道ではなく、競技に対する向き合い方でしょう。彼は黙々と筋力トレーニングをし、自分のやるべきことを明確にし、軸をぶらすことなく練習をする。そんな天智龍を尊敬していますし、僕の憧れでもありました。

また、2年の全カレでは出場できなかった僕に後半の切り替え方を聞いてくれました。僕が除け者にならないように気遣ってくれたのでしょう。

そんな、優しさと意志の強さを持つ天智龍の今後の活躍をほろよい片手に鑑賞するのが楽しみです。

 

僕の人生でここまで文字量を書くのは、この部員日記と卒業論文と会社での反省文程度でしょう。何か残すことを書こうにも前回大体の競技に対する考え方を書いてしまったので、僕の大学陸上4年間について書こうと思います。

 

2020年の春、まだ考えも競技に対する向き合い方も未熟で青い状態で早稲田競走部の門をたたきました。同期はインターハイで名前を聞くような華がある選手ばかりでした。そのような選手は監督などの勧誘から入部を決めた選手が多かったですが僕はというと高校時代は平凡で優秀ではなく、勝手に入ってきた選手でした。また、入部当初は競走部の雰囲気を読めないKY1年生として、上級生に指導していただいたことも多かったです。また、コロナ禍の真っ只中ということもあり、一寸先も見えないなか、もがく様に練習していたことを覚えています。

2年は苦楽を多く経験する1年でした。シーズンインで自己ベストを更新するも、全日本インカレには出られず、当日は山内さん、後藤さん、天智龍の3人が決勝の舞台に立ち僕はそれを選手紹介する立場でした。出られない悔しさと仲間が活躍する嬉しさに挟まれながらのアナウンス。3人がスタートラインを発つやいなや大興奮し、レース中の読み上げは気持ちの昂りがアナウンスに表れていたと聞きます。

3年シーズンは人生の厄年でしょう。そうあってほしいです。コロナウイルス感染や2度の骨折(計4本)シーズン半分以上は走れずに補強をしていました。練習や授業なども憂鬱で嫌いになり、早く寮に帰りたいということばかり考えていました。何かをしようにもすぐに飽き乗り切ることだけ考えていました。そんな年を越えられたのも同期や先輩、後輩のおかげです。

4年にもなれば自ずと心情の変化も生まれ一瞬たりとも無駄にできない1年が始まりました。シーズン序盤はうまくいかない日々でしたが、半ば棚から牡丹餅のような状態で出場枠をいただいた関東インカレ。徐々に調子を上げ自己ベストを更新でき、復調の兆しが見えてきたことを鮮明に覚えています。それ以降、期待通りの成長はできなかったものの安定してベスト付近を出すことができ、後悔なく陸上競技を引退できました。

 

競走部は色々な種類の人がいますが、みんな一貫して意志の強さを感じます。遅刻してきた時には練習メニューを消化済みでも引っ張ってくれる先輩や同期など「チームで強くなる」という意識が強いからこその成長率の高さなのでしょう。そのような多くの人が同じ方向を向き、切磋琢磨できる環境に身を置けて、この4年間どの時期を振り返っても寸分の迷いなく競走部でよかったと感じています。

 

明日は池淵にお願いしました。

池淵は入部当初物静かなキャラを演じており、もっと話そうぜと声を掛けてしまうほどでした。しかし、時間が経つにつれて彼は豹変し、某名探偵顔負けの疑問を浮かべたほどです。気さくに後輩に話しかけ、多くの選手やマネージャーの支えになっていたことでしょう。

池淵は練習に対して物凄く真摯に向き合い、後輩の面倒見もいい競走部に欠かせない存在です。池淵は人の走りを分析することにも長けています。僕も感覚が良くない時には彼に相談し、アドバイスを貰うことも多くありました。大学2年シーズンの一時的に調子を落とした時は「腹筋が弱い」と指摘を受け、そこに意識を向けることで復調することができました。怪我を隠しながらも「せっかくのチャンスを無駄にできない」という彼の言葉には競技者としての執念を感じ、自分も死に物狂いで競技に向き合わねばいけないと改心させられました。

また、池淵が400mHを始めようとしたときは本気で焦りました。器用さとスピードに定評のある彼が来たら僕はもう…。池淵が聡明で助かりました!明日は宜しく!

 

多くの同期が最後の部員日記だと思うとノスタルジックな気持ちを書き連ねていますが、最後の4年生リレーを始めようという思いもあり、池淵に回しました。

同期の名前を見ているといろいろなことを思い出しながら最後の部員日記を書いていました。

正真正銘僕の部員日記は最後です。


4年間を捧げられる環境に身を置けたことを誇りに思います。

今まで、お世話になりました。