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部員日記

新上健太:競走部

坂本達哉から引き継ぎました。

短距離ブロック4年の新上健太です。


陸上競技をしていて、タイトルを獲得できる人間はほんの一握りです。日本選手権、インカレ、新人戦など試合の規模は関係なく、勝てる人間と勝てない人間には明確な差があると思います。これを時の運と表現する人もいますが、全員が勝ちを渇望して鍛錬を積み、正々堂々戦う勝負の舞台です。勝利を手繰り寄せる運も、紛れもなく実力の内と言えるでしょう。彼は関東インカレのタイトルを獲得し、大会102年の歴史に名を刻みました。臙脂のユニフォームを身に纏って800mを制した者は、彼を含めてたったの12人しかいません。また、ホクレン、日本インカレ決勝、国体出場など、陸上競技に取り組む者なら誰もが憧れる舞台への出場も果たしました。短い時間とはいえど、そんな彼と共に競技ができたことを誇りに思いますし、最後の部員日記を回してくれたことを光栄に思います。あと少し競技を続けるようなので、納得のいく競技人生を過ごせるように、心より応援しています。


数日前から始まった4年生リレーですが、来る日に何を書くか決めあぐねていました。来週には、幹部交代式が行われます。この式をもって正式に109代目から110代目に引き継がれます。時の流れは早いもので、去年の幹部交代式がつい昨日のように思い出されます。誰が新しい幹部になるのか、私はまだ正確には知りません。1年前の自分や新しい幹部、後輩を思いながら、今年1年を振り返ることで、最後の部員日記とさせていただきます。


早稲田大学競走部の幹部にマニュアルはありません。主将、主務、ブロック長として何をしなければならないか、自分で考えて行動していく必要があります。伊東主将、森戸主将、三浦主将、田中主将、誰を思い返しても、似て非なる色でした。ブロック長も同様で、1〜3年生の頃に見た先輩方の面影を頼りに、自分の中の短距離ブロック長像を具体的にする時間が、代替わり直後の殆どの時間を占めていたと思います。今思えば、手引きがないからこそ享受できる楽しさや経験の方が多いですが、シーズンが始まるまでは色々な困難が立ちはだかりました。


極端な話、主将や主務が居れば、その他幹部がいなくても部は無くなりません。多少の問題にぶつかれど、任期の1年間くらいであれば完走できるでしょう。それは、OB・OGによって構成されるWACの手厚い支援や、OBであり指導者である監督コーチ陣が居るからです。そのような曖昧な立場だからこそ、短距離ブロック長の意義について考え続けてきました。

そうして辿り着いた、私なりの意義の1つは、『チーム目標達成に短距離ブロックがどれだけ貢献できるか責任を持つ』ということでした。


109代目最大の目標は、日本インカレの総合優勝でした。この目標を達成するために、六大、関東インカレ、早慶戦などの対校(抗)戦で、どのように勝利を納めるかが求められました。

当たり前のことではありますが、対校戦で勝つには決勝に残って得点を持ち帰る必要があります。インカレの得点は1位から順に8点から1点が割り振られています。各大学から3名まで出場することができるため、表彰台を独占すれば最大で21点獲得することができます。

短距離ブロックとして、得点という数字をどれだけ大きくすることができるか。このテーマに拘り責任を持つことが、私なりに行き着いた短距離ブロック長の意義です。


「インカレで勝とう。」「総合優勝しよう。」とチームに言うことは簡単です。一方で、チームに求めるからには、言った者にも責任が伴います。私自身が対校戦で必ず得点を持って帰ること、出場する400m陣の中で1番良い成績を納めることは、ブロック長のプライドとして持ち続けていました。そうあり続けることで、チームに求めるという責任が初めて果たされると思います。日本インカレでは最高の仲間であり好敵手である眞々田に一泡吹かされましたが、立場というプライドに、何度も背中を押された1年でした。


陸上競技は個人種目です。勝っても負けても自己責任。支援があって初めて成り立つ競技ですが、試合の結果を左右するのがスタートラインに立った自分の身体である以上は、得た戦果のほとんどが自分の努力によるものとも言えます。そんな陸上競技、競走部において、自分以外の試合の責任を負うことができる数少ない学生が、各世代の幹部なのではないかと私は思います。


時には重圧になることもあり得ますが、背負うものが重ければ重いほど、見える景色が変わることを実感しました。


長々と書いてきましたが、もしかしたら殆どの人にとって納得できない内容かも知れません。ですが、間違いなく言えることは、『今は乗った船でも、いずれは操縦する船になる』ということです。早稲田大学競走部に入ったからには、競技者として何を成し遂げたいかと同等に、競走部員として何を成し遂げたいかに向き合い続けて欲しいと思います。


酸いも甘いも経験したラストイヤーでしたが、そこには私にしか見えない景色が確実にあったと思います。

このような景色を見せてくれた、早稲田大学競走部には感謝の気持ちでいっぱいです。

ありきたりの言葉でしか感謝を言い表せませんが、本当に本当にありがとうございました。

明日は西裕大にお願いしました。

日本選手権リレーの決勝前に、「これが新上とつなぐ最後のバトンや。」と言われましたが、阻止させていただきます。この部員日記をもって、正真正銘最後のバトンパスとさせていただきます。西はよく「みんな俺の走り方すれば速なるのに…」とぼやきます。これは22.6から20.4まで走りを磨いてきたからこそ思い、言えることだと思います。私が言うのも烏滸がましいことではありますが、彼は競走部に求められた人間だと思います。共に引退を一度は決断して、駆け抜けた時間は、とても充実したものでした。話をしてくれた以上に色々な葛藤があったかと思いますが、1人の競技者として来年も西の走りを観ることができるのを、楽しみにしています。

一緒に酒でも飲みながら陸上観戦をするという約束はお預けで…


後輩たちの経験がより豊かになるように、できる限り協力していきたいです。

最後まで読んでくださった皆さんも、今度は一緒に応援よろしくお願いします。