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部員日記

小平敦之: 今しかできないこと

こんばんは。武田から引き継ぎました、長距離ブロック3年の小平敦之です。昨日の紹介にもあったように高校の頃から一緒に走って6年目になります。いろいろエピソードがあるようなので、ぜひ次回以降語ってほしいですね。高校3年時に「競走部で箱根を走りたい」という意志を初めて知り、そのためにまず14分台を出さなければならない際に、絶対クリアしてやるという強い気持ちを体現していた時には驚いたのはよく記憶に残っています。持ちタイムでは僕の方が上で入部したものの、大学1年、2年で逆転され置いていかれていました。もちろん悔しいには悔しかったのですが、それ以上に一生懸命に競技に向き合う武田を見て、自分自身も頑張らねばとパワーをもらっていました。我が道を行く武田、というイメージが強いのかもしれませんが、5年以上見てきた僕からは、実は真面目ということを強調しておきます。上久保さんから自分の足りない部分を補うために補強を自ら学びに行く姿勢、1人トレ室が閉まるまで練習している姿勢、4限や5限から帰ってきて真っ暗な中時には20:00以降に走りにいく姿勢、どれをとってもそうです。「陸上はさ、今しかできないことだから!」彼がふと言った一言が僕には刺さり、少し見失っていたものを取り戻すことができたような気もします。彼自身、この夏に競技人生で初めての長めの離脱をして苦しい思いをしていたと思いますが、それを乗り越え練習にも合流してきています。一緒に箱根を走ることができるように2人で頑張っていこうね!

前回の部員日記は花田監督から回していただいたというのもあり、大変反響をいただきました。ありがとうございます。次回以降も僕の部員日記を楽しみにしていただけるように今回もご満足いただける文章を書ければと思います(笑)

前回書いた4月以降なかなかに困難の連続でした。4月末の日体大記録会に向けていい練習が積めていましたが、3日前くらいから体調を崩してしまい、当日の朝まで悩んだ末に欠場の判断をしました。5月も体調があまり優れない中で早大記録会でいい走りができずに落ち込んでいたところで、1週間後にちょっと痛いなと思ったら脛骨の疲労骨折。大学に入ってから、細かな離脱や貧血で思うように走ることができないことはありましたが、長期間休むような怪我は初めてでした。

割と軽度だったのもあり、1ヵ月ほどで復活したのですが、6月末、初回のポイント練習の日に腰からお尻にかけて痛くて歩くのもつらい、、と思っていたところ仙骨の疲労骨折。こんなに簡単に骨が折れることってあるの??って思いましたし、脛骨の疲労骨折からも慎重に進めているつもりだったので、相当落ち込みました。夏もみんなに合流できるのは9月という予測となり、実力的にももともとメンバー当確なわけでもないので、自分に対する焦りと情けなさと怒りとで感情がぐちゃぐちゃになっていました。

この2回の怪我を経て、改めて怪我で長期間リハビリをしているメンバーに対するリスペクトを持つようになりました。どうやって復帰するのか計画を立て、走りたい中でも我慢して、地道なコアトレーニングや専門外のバイク、スイムからアプローチしつつ回復させる。モチベーション維持の大変さもよくわかりましたし、来年最上級生になった際にそこらへんもカバーしてあげられるような存在でありたいとも思いました。

僕自身の怪我中の取り組みとしてはとにかくどの活動でも臀部や股関節周りを使う事もあったので、前半は絶対安静。上半身のみの補強と、歩行は授業で外に出る以外は全くしないようにしました。休み始めて3,4日ですぐ走りたくなり、我慢するのが大変でした。やはり走るのが好きなんだなと。そしてもう1つ大変だったのは栄養の面。もちろん回復のためには栄養を取ることも大事ですが、練習再開後に体が重くなりすぎても困ってしまうので、どうにかコントロールしようと努めました。そこで使ったのが生成AI!どうせなら活用しようと思い、Geminiに毎食の写真と食事のメニュー名とその日の練習メニューを送って、消費エネルギーと摂取エネルギーの収支、骨の回復に必要なカルシウムやマグネシウム、亜鉛、吸収のサポートとなるビタミンC,Dなどを毎日計算してもらいました。Geminiが褒めてくれたおかげで少しは楽しくモチベーションを保ちながらできたのかなと思います。そのおかげもあり、回復が早まって7月後半から走り始め、8月中旬の妙高合宿から合流することができました。

しかし、再び壁が、、、うまくいかないものですね、、

花泉合宿の2日目に体調を崩したと思ったらまさかのコロナ陽性。もちろんそこから帰寮して隔離しました。以前罹患したときに、完全に呼吸器もやられ、筋力も大幅に低下したというのもあり、これでまた走れなくなるのか、、と。そもそも怪我後に練習に合流はしていましたが、どのくらいまで走れるようになっているかわからなかったのもあり、果たして怪我前のように走れるようになるのか、自分が目指す目標を達成できるのか、という不安で体調不良にもかかわらず眠れない日もありました。その後の菅平合宿にも間に合わず、ロードオブ早稲田もエントリーされず、というところで、練習再開後は不安以上に危機感に苛まれました。

合宿期間中は自分なりのペースを大切にしながらも、合宿組を常に意識しながら練習を行っていました。所沢は暑さはありますが、超音波や酸素カプセルなど治療設備が整っているのと、普段通りの慣れた生活でリズムよく過ごすことができるメリットも生かしつつ、練習ができたおかげでロードオブ早稲田の10日前に良い練習ができ、エントリーしていただけることが決まったという経緯でした。もう失敗できないという気持ちが大きく、最高の準備をして臨むことを意識して過ごし、絶対的に強い気持ちを持って臨んだロードオブ早稲田。

結果は13分58秒という事で自己ベストと13分台のおまけつき。もちろん着順が良かったわけではありませんが、1つの指標としてタイムを出せたことはすごく嬉しかったです。前回自己ベストを出した3月にはもう少しいけたはず、という気持ちと3年半ぶりでホッとする気持ちが大きかったですが、この半年苦しかった分さらに増幅して久しぶりに嬉しさを味わいました。これがやっぱりこの競技の醍醐味であり、きつい練習でも頑張っている理由だと思います。

今は夏の分を取り返すのと、駅伝を想定しながらの単独走でも戦力となれるように練習を積んでいます。これ以上もうミスは許されないので、「リスク回避リスト」というものを作ってみました。今までのさまざまな失敗をまとめ、それをどうやったら回避できたのかという対策を考えて、実践しています。もう僕は他の人と比べて免疫がよわよわなので、マスクをして過ごすという事はもちろん、治療や栄養に関しても惜しみなく投資することにしています。スポンサーであるコラゾンさんやTentialさんのおかげで質の高いリカバリーをおこなうことができているのは間違いないですが、いろいろやってみるとお金がかかるもので(笑)最近は、日中昼寝をするのにまぶしいので、アイマスクを買ってみたのと、免疫を高めるドリンクや野菜ジュースを購入してみました。もし、これを読んでくださっている方で、スタートラインに立つまでの準備で競技の事でもそれ以外に免疫ケアでも栄養でも睡眠でも、おすすめのものがあればぜひ教えていただきたいです。競技をしている間は目標達成できるように、とサポートしてくれている両親には頭が上がらないです。将来、出世払いができるようにしたいと思います。それと同時にやはり結果で返すというのが1番の恩返しだと思うので、今年の全日本、箱根と結果を残せるように頑張ります。

最後にそのためにはやはり覚悟というのが大事なのかなと思います。競技でうまくいかなかった時に、自分が競技をしていなかったらどうだったんだろうとか考えていました。1人の大学生としてバイトをしたり、(別にお酒が好きなわけではありませんが)朝まで飲んだり、あるいは休日旅行に出かけたり、おしゃれをしたり、起業したりしていたのかもしれません。でも、僕は大学で箱根駅伝が走りたくて、優勝の景色が見たくて、競走部に入るために高校も早実を選んで、と生きてきました。もちろんおいしいものを食べることや、友達と遊んだり話したりすること、時には恋愛をすることもあります。それが悪とは思わないですし、少なからずメンタルの面で必要な時もあります。しかし、それを我慢してでも自分が手に入れたいもの、本当にやりたいこと、達成したいことが目の前にある限りは、それを追い続けたい、それが僕が競技に対して思う事です。

それが冒頭にもあった「今しかできないこと」という武田の言葉の僕なりの解釈です。

人それぞれ解釈はあると思いますが、競技に対してまっすぐに向き合って結果を出せるように頑張るので、応援していただけますと幸いです。

明日は長距離ブロック1年の鈴木琉胤に引き継ぎます。彼はみなさんご存じの通りのスーパースターです。圧倒的な走力と秀才さ、さらに最近色気も増してきて、出雲駅伝では銭湯(→先頭です!ごめんなさい!)で走っている姿がテレビで中継されたおかげで、陸上ファン以外の方にもその魅力が伝わっていることでしょう。彼とは同じ県出身ですが、家も近く、ほぼ最寄り駅も同じような感じです。僕が大学に入るタイミングで入れ違いで南柏駅の同じ整骨院に通っていたことを知ったときには驚きました。最初にあったのは僕が高校2年、彼が中学3年の6月です。中学生らしからぬスピードで、1人ですごい練習をこなしていたのを今でも覚えています。その時から頭が良いという事は聞いていたので、早実に来ることはないだろうなと思いながらもおすすめした記憶があります。高校では松陰を選びましたがまさか大学で一緒に走れる時が来るとは思ってもいませんでした。全然立場は違えど、やはり地元が同じ仲間がすごい結果を出すと僕自身も頑張ろうと思いますし、すごくモチベーションにさせてもらっています。引き受けてくれてありがとう!明日はよろしくね!

涼しくなってきたので、お体にはお気を付けください。僕も気をつけます。最後までお読みいただきありがとうございました。