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部員日記

髙木敬太:ここから

こんにちは。鈴木勇飛より引き継ぎました。投擲ブロック1年の髙木敬太(たかぎけいた)と申します。


勇飛は紺碧寮の同期で、お風呂場や食堂で会うといつも笑顔で話しかけてくれるとてもフレンドリーな人物です。また、彼はとてもよく食べます。毎晩、どんぶりに溢れんばかりの米をよそって食べています。彼の粘り強い走りはこの「食」あってのものなのかもしれませんね。偉大な先輩や世代最強と呼ばれる同期と共に箱根駅伝を走る彼の姿が見られるのがとても楽しみです。これからもお互い練習頑張ろう!


初めての部員日記ということで、僭越ながら自己紹介をさせていただきます。私は大阪府吹田市出身で、春日丘高校を卒業して今年から早稲田大学に入学いたしました。吹田市は1970年の日本万国博覧会が行われた都市であり、岡本太郎氏の「太陽の塔」というシンボルが有名です。治安もとても良く、あたたかい人たちに囲まれた素敵な街です。大阪に行く機会があればぜひ訪れていただきたいです!


ここからは私の競技人生についてお話しさせていただきます。私が陸上競技を本格的に始めたのは中学3年生の頃でした。それまでは市内の硬式野球チームに所属しており、陸上競技は野球のトレーニング目的として平日の部活動に参加する程度で取り組んでおりました。しかし中学2年生の夏、膝のケガで思うようなプレーができなくなり長年続けてきた野球を辞めることを決意しました。そして、それからは部活動で陸上競技を続けさせていただき上田翔太先生のもとで陸上競技の楽しさを学びました。上田先生、本当にありがとうございました。
高校に入学しても陸上の楽しさを忘れられず、陸上競技部に入部することになりました。私は短距離を専門にするつもりでしたが、顧問の池田隆弘先生から、野球の経験を活かしてやり投をやるのはどうかと勧められて言われるがままやり投を始めることになりました。そこから元10種競技選手の池田先生と、元7種競技選手の村林先生のもとでやり投のいろはを教えていただきました。


しかし、私の高校陸上は決して順風満帆には行きませんでした。2年生、3年生時ともにインターハイ予選前に肘の靭帯損傷のケガを負い、痛みでいつも通りの投げができずインターハイ出場を逃しました。両親や友人、顧問の先生や治療院の先生、応援してくれた方々への申し訳なさと悔しさで涙が止まりませんでした。それでも、このままで終わっていいわけがない、自分はまだやれると自身を奮い立たせました。そしてケガに苦しみながらも、たくさんの人に助けられながら順調に成長していくことができました。その結果、U20日本選手権では2位に入賞して表彰台に登ることができました。本当に陸上競技をやってきて良かったと心から感じた瞬間でした。池田先生、村林先生、私をここまで指導してくださり、本当にありがとうございました。


大学に入学し、競走部に入部した当初は、テレビで見たことがあるような有名な先輩方やインターハイで輝かしい成績を収めた同期に囲まれた環境で練習ができることに驚きました。また、入部早々に東京六大学対抗戦にも出場させていただき、臙脂のユニフォームをまとうことの誇りと責任を身をもって感じました。先日行われた関東インカレにも出場させていただきましたが、不完全燃焼で終わってしまい悔しさを感じる試合となりました。9月に行われる全日本インカレでは必ず早稲田に得点を持ち帰り、総合優勝に貢献したいと思います。そのために、日頃からご指導していただいている監督、コーチの方々、先輩への感謝を忘れず、最高の同期と切磋琢磨していきたいと思います。


明日は短距離ブロック1年の髙木連麻に引き継ぎます。連麻は400メートルを専門に取り組んでおり、恵まれた体格で力強く走るその姿はとてもかっこいいです。彼はとても親しみやすく、面白いです。いつも、持ち前のセンスで私たちを笑わせてくれます。私とはブロックが違って話す機会が多いわけではないですがすれ違う時はいつも気さくに話しかけてくれます。今は焦らずしっかりケガ治してね!これからも一緒に頑張ろう!


拙い文章でしたが、最後までお読みいただきありがとうございました。
それでは失礼いたします。