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部員日記

西裕大:臙脂に焦がれて

こんばんは。新上より引き継ぎました、短距離ブロック4年の西裕大です。


新上は僕らの代にとって最も重要な役割を担った存在です。天智龍の隣で共に部を作り、競技力、言葉で109代目早稲田大学競走部を引っ張り続けました。49秒台で競走部に入り、急速に強くなり1年から臙脂を着ていたからこそ、部員全員と同じ目線で話すことができ、時には自分を犠牲にしてでもこの部を強くしようとしていました。彼のようになりたいと思ったことは1度や2度ではありません。特に1年、2年の頃は最初は隣にいて、先に行ってしまった彼に追いつきたい、追い抜きたい一心で競技に励んでいた気がします。僕の初めての臙脂は大学2年生の日本インカレのマイルです。そこで新上とバトンをつなぎ、最後の臙脂である、日本選手権リレーのマイルでもまた彼とバトンをつなぎました。そして、最後の臙脂で渡したバトンが最後の部員日記で帰ってきました。新上はこれが最後のバトンと言っていましたが、いつになるか何になるかはわかりませんが、いつかまたバトンを渡したいと思います。楽しみにしといてください。

最後の部員日記です。何を書こうか、何を残そうか迷いながら書いています。まとまりのない文章になってしまうと思いますが、最後までお付き合いいただけるとありがたいです。


11月15日の幹部交代式をもって、僕たちの109代目競走部は終わります。どのような代だったでしょうか?強い代だったでしょうか、問題が多発した代でしょうか。いろんな意見があると思います。僕が思う僕らの代は自分勝手な代だったと思います。僕、稲毛、竹内を筆頭に好き勝手し、天智龍と新上を困らせた記憶しかありません。今回の部員日記でも4年生リレーが新井からスタートし、名前順で池淵に行ったにもかかわらず、次が坂本、自由ですね。けど、僕はこの代が好きでした。自分勝手ながらも天智龍の元、インカレ総合優勝を本気で目指し、一つの方向を向いていました。関東インカレではあと一歩のところまで行き総合2位。爪が甘いのも僕らの代らしいです。

大前監督下での早稲田大学競走部の黄金期はきっと僕らの代ではないと思います。来年なのか、再来年なのか、はたまたもっと先なのか。けれど、黄金期と名乗る上で越えなければならない壁にはなれたのではないかと思います。いつか来る黄金期を楽しみに、その時にこんな代もあったなと思い出していただけると嬉しいです。


さて、ついに臙脂を脱ぐ時が来てしまいました。僕は早稲田大学競走部に何かを残せたでしょうか。幼少期から競走部OBである父の影響で身近にあり憧れだった臙脂のユニフォーム。あんなかっこいいユニフォームをもう着れないと考えると寂しくて仕方がありません。

僕は臙脂のユニフォームを着る上で1つだけ義務があると思っています。それは勝つことを諦めないことです。これまで先輩方が紡いできた、輝かせてきた臙脂のユニフォームを身につけて勝ちを諦めることを僕は許せません。たとえ実力が足りなくとも絶対に勝ちに行く、負けを認めたレースをしない、不甲斐ないレースをしない、これを肝に銘じて闘ってきました。負けてしまうことは仕方ありません。実力が足りないこと、運がないこと、ミスが起こることもあります。しかし、それは他者が言うことであって、負けた本人は臙脂を着てる以上絶対に思ってはいけない、負けた事実に不甲斐なさを感じなければいけないと思います。これはあくまで僕の臙脂像であり、勝手な意見です。しかし、1人でも多くの後輩がこのように覚悟を決めて、レースに挑んでくれたら嬉しいです。


振り返ると臙脂に焦がれ、臙脂を誇った4年間でした。大学1年時は22.6だった僕が、礒先生や大前監督をはじめとするコーチ陣の方々や先輩方、同期、後輩に導かれ、学生3冠、そして、世界で闘える選手にしていただきました。皆様のおかげで、入学時に思い描いた、なりたかった以上の自分になることができました。本当にありがとうございました。特に大前監督、岳さん、橋元さん、佐野さん、三浦さんには多くのことを教えていただきました。大学一年時に燻っていた僕を引っ張り上げてくださった橋元さんと佐野さん、学生トップまで押し上げてくださった岳さん、三浦さん、そして世界へと連れて行ってくださった大前監督、本当に感謝してもしきれません。浪人してまで早稲田大学競走部に入ってよかったと心から思える4年間でした。

唯一の心残りはリレーで勝てなかったことです。4継は6回出していただいて、2位4回3位1回、マイルは4回出していただいて、2位3回3位1回なんというシルバーコレクターでしょうか。早稲田のリレーは1位が義務付けられています。1位以外評価されませんし、許されません。しかし、僕は臙脂のユニフォームがあるべき場所の隣に立ち続けてしまいました。それだけは本当に悔しいですし、心残りです。後輩たちが臙脂のユニフォームがあるべき場所に戻してくれることを願っています。そして、カイシンとトマス、眞々田を中心とした、来年の短距離ブロックならやってくれると信じています。頼むぞ。


最後になりますが、応援してくださった皆様、本当にありがとうございました。自分は高校時代は強豪校の選手でも強い選手なかったので、ここまで多くの人に応援していただけることはありませんでした。大学に入り、多くの方が会場やSNSなどでの応援してくださり、写真を撮っていただけることが本当に嬉しく、楽しい時間でした。実は、あれだけ引退宣言していたのにも関わらず、来年1年間、陸上を続け、オリンピックを目指す決断をしました。もう1年だけ僕の応援と今後永久の早稲田大学競走部の応援をよろしくお願いいたします。

明日は女子主将の川村にお願いしました。

川村は早稲田大学競走部を変えた存在だったように感じます。彼女は競走部の歴史で初めて幹部として女子主将を任されました。早稲田大学競走部の女子部員の今後に関わる重要な役割であり、僕には想像できないほどのプレッシャーや難しさ、そして衝突があったと思います。1年から臙脂を着て競走部に貢献をし続け、2年で日本インカレを勝ち、3年は苦しんだ川村だからこそ、任させた役割であり、その大役を1年間勤め上げました。彼女自身も日本インカレで王座奪還をし、チームとしても、4継、マイル共に決勝進出と集大成の試合で最高の結果を持って帰ってきました。これまでの歴史でも競走部に強い女子の先輩方は数多くいます。しかしながら、僕の勝手な意見ですがチームとして最も強かったのは川村の作った109代目早稲田大学競走部女子ブロックだと思います。川村が初代を務めた女子主将という役割は来年も作られるそうです。これは、川村が1年間悩み続けながらも務めた成果であり、競走部の歴史を変える第一歩だと思います。本当にお疲れ様でした。


最後まで読んでくださった皆様ありがとうございました。僕の早稲田大学競走部での4年間は間違いなく人生最高の4年間でした。この4年間を超えられるよう、もう1年、そして今後の人生も頑張ります。本当に臙脂、早稲田大学競走部が大好きでした。ありがとうございました。

それでは失礼いたします。