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部員日記

佐々木悠人:乾杯

こんばんは。
山崎から引き継ぎました、跳躍ブロック4年の佐々木悠人です。


主務から最後の部員日記を受け取れた。これを幸運と呼ばずして、何と呼ぶのでしょうか。


もっとも、いざ筆を執ると、これがなかなか難しい。4年をともに過ごした同期を、最後にどう紹介するのか。

多少好き勝手に書いたところで、最後の部員日記という免罪符を盾に逃げ切れるだろう。

そんなことも考えましたが、我々に限ってはそうもいかないようです。

あと40年は、嫌でも顔を合わせることになるでしょうから。

さあ、どっちが早く出世するかな。


「愛し、愛される」

橋の下に掲げられた彼のあの目標。

これを見た時思いました。もうすでに達成しているのでは、と。


思い出を遡れば、彼と同じくあの合宿だと思います。

帰りの車、二人で語り合ったな。

止まらない話とあまりの熱量に、飲酒運転をしているじゃないかと心配になったことも記憶に新しいです。

主務という重責の中で、誰にも代われない孤高の闘いをしてきた山崎の横顔がいつもに増してかっこよく見えたのは気のせいではないはずです。

様々な苦悩と曝け出してくれた弱さを知って、さらに強く見えました。


そしてその強さが、競走部を、そして仲間をどれほど深い愛で包み込んできたか。その途方もない愛する力があったからこそ、みんなから「愛される」存在だったんだと思う。

本当にありがとう。


山崎がいたから、僕は最後まで戦うことができた。いつまでも僕の次にかっこいい山崎でいてね。心の底から自慢できる同期に出会えてよかった。


40年では到底返せないほどお世話になったけど、社会人になってもお世話になるね。

あと少し、主務として頑張れ。



さて、全国の読者の皆様が首を長くして待ち望んでいた(であろう)佐々木の部員日記も、今日でいよいよ最終回を迎えることとなりました。

画面の向こうで一抹の寂しさに包まれている方々の姿が、目に浮かぶようです。


それにしても、本当に辛かった。 

4年間の日々を振り返れば、頭に浮かぶのは苦しかった思い出ばかりです。

そして、誰よりも支えられた4年間でもありました。


まずもちろん同期でしょう。

走れば走るほど己の無力さを突きつけられ、結果や数字という冷徹な現実の前に押し潰されそうになる毎日。

何のためにこんなに苦しい思いをしているのか分からなくなる日もありました。それでも、同期と一緒にいると、いつの間にか笑っていました。本当は笑いたくない日でさえ、笑わされていました。

振り返ってみても、同期と何を話したのか、何をしていたのか、驚くほど大した記憶がありません。あるのは、ひたすら笑っていた記憶ばかりです。練習の合間も、帰り道も、合宿先でも、とにかく変なことしかしていなかった気がします。おそらく、思い出そうとすればするほど、僕たちの知性と品性を疑われるようなエピソードばかりが出てくるのでしょう。

高須と関口のせいで知能は着実に低下しましたし、間渕のせいで、持たなくてもよかった思想まで身につけてしまいました。4年間で身体能力はどこまで伸びたのか分かりませんが、少なくとも同期の影響によって、まともな人間からは遠ざかった気がします。

それでも、楽しかった。

競技の結果だけを見れば、決して満足のいく4年間ではありませんでした。それでも、あの苦しい練習の日々を、最後まで笑いながら過ごせたことは、僕にとって何にも代えがたい財産です。競技を続ける理由は、記録や順位だけではありませんでした。隣にいる仲間とくだらないことで笑い合えることも、もう少し頑張ろうと思える理由の一つでした。

みんなと同期でいられて、本当によかったです。4年間、ありがとう。


ブロック長としての一年を振り返れば、不甲斐ないところばかりが思い浮かびます。

自分の競技で結果を残すことすらままならず、みんなに胸を張れる姿を見せられなかったことも、ブロック長として十分な役割を果たせたのかということも、今なお心残りです。

それでも、みんなと一緒にあの砂場に集まれたことを、僕は本当に幸せに思っています。

時にはくだらないことで笑い、時には互いの課題を指摘し合い、それぞれが自分の目標に向かって練習する。何度整備しても、なぜかもっこりしてしまうあの砂場も、250のスタートラインにみんなで立ったことも、全員がグーしか出さず、いつまでたっても終わらなかったじゃんけんも。

今思えば、その一つひとつが、どうしようもなく愛おしい日々でした。

当時は何とも思っていなかった光景が、もう二度と同じ形では戻ってこないのだと思うと、

不思議なものです、寂しいですね。

ブロック長として、みんなに何を残せたのかは分かりません。ただ、僕自身はみんなから本当に多くのものをもらいました。競技への向き合い方も、仲間と過ごす時間の尊さも、組織の中で誰かと一緒に何かをつくっていく面白さも、みんなと過ごした日々の中にありました。

秀晟、あとは頼むぞ。

チャレンジャーの僕らに失うものはないはずです。秀晟らしく、みんなと一緒に、これからの跳躍ブロックをつくっていってください。あの砂場が、これからたくさんの喜びで溢れることを願っています。



そしてその跳躍ブロックを作り上げてくださった棚井さんにも感謝を伝えたいです。

僕が競技を続けることに迷い、この部を去ることさえ考えていたとき、棚井さんがかけてくれた言葉があります。

「別にどうでも良いけど、俺は普通にお前と陸上がしたいよ。」

僕はその言葉に救われました。

競技を続けるべき理由を見失いかけていたとき、僕の記録や将来性ではなく、ただ一緒に陸上をしたいと言ってくれた。その言葉が、どれほど嬉しかったか、今でもよく覚えています。競技を続けることに意味があるのか、自分がここにいる意味があるのか。そんなことばかり考えていた僕にとって、あの一言は、もう一度競技場に向かうための十分な理由でした。

僕にとって、先輩とは棚井さんのような人でした。

競技に真摯で、後輩を気にかけ、背中で示してくれる。僕もそんな先輩になりたいと思っていました。もっとも、そのまま目指し続けるには少々時代錯誤なところもあり、途中で路線変更を余儀なくされましたが。

それでも、僕の中にある先輩像の原点は、今も棚井さんです。

僕は棚井さんのようになれたでしょうか。

少しでも近づけていたなら、嬉しく思います。今でもじゃんけんは漢のグーしか出していません。

そして、これからもきっと跳躍ブロックの後輩たちにとって、棚井さんが変わらず一つの指針であり続けると思います。

結果が出ない最後の一年、棚井さんに連絡できない自分が恥ずかしかったです。いつか胸をはってお会いしましょう。


そして、堀池さん。

LINEを見返してみると、信じられないほどの数のやり取りをさせていただいていました。技術のこと、練習のこと、試合のこと。自分でも面倒な選手だっただろうと思います。それでも堀池さんは、最後の最後まで僕を見捨てず、期待し続けてくださいました。

そのことに、感謝してもしきれません。

思うように結果が出ず、自分自身でも可能性を信じきれなくなったときがありました。それでも堀池さんは、僕がどうすればもっと跳べるのかを考え、何度も言葉をかけ、最後まで向き合ってくださいました。期待に応えたい。その一心で練習してきたつもりでしたが、最後まで十分な結果をお返しすることはできませんでした。

だからこそ、最後の試合は悔しいです。

試合後、堀池さんと交わした言葉は、決して多くありませんでした。それでも、あの一瞬にいただいた「よくやった」という言葉で、少しだけ報われたような気がしました。目標に届かなかった悔しさが消えたわけではありません。それでも、ここまでの努力も、もがいてきた日々も、すべてが無意味だったわけではないのだと思えました。

最後の最後まで、ファウルという佐々木らしい終わり方になってしまいましたが、

堀池さん、4年間、本当にありがとうございました。

最後の試合の動画と内省については、後ほどお送りしますので、ご確認のよろしくお願いいたします。



最後に、両親へ。

僕は幼い頃から、本当に好き勝手に挑戦させてもらってきました。何かをやりたいと言って、駄目だと言われた記憶がありません。自分が興味を持ったことに挑戦できるのが当たり前だと思っていましたが、それは決して当たり前のことではなかったのだと思います。

結果が出れば、こちらが恥ずかしくなるくらい喜んでくれました。反対に、結果が出なかったときは悔しさが少し滲み出てはいましたが、温かく見守ってくれました。うまくいったときも、思うようにいかなかったときも、変わらず応援してくれる人がいる。その安心感があったからこそ、僕は何度でも挑戦することができたのだと思います。

これまで、たくさんの迷惑をかけてきました。大学進学を機に地元を離れ、東京で競技を続けることを選び、好きなことに夢中になってきました。その一方で、支えてもらった分だけの恩返しができたかと問われれば、胸を張って頷くことはできません。

陸上競技を通して、何か大きな結果を残したかった。頑張ってきた姿を見せるだけではなく、結果という形で、ここまで支えてくれたことへの感謝を返したかった。それができなかったことが、今は本当に悔しいです。

でも、だからといって、ここで恩返しが終わるわけではありません。

これまでは、競技で結果を残すことが、両親に報いるための一つの方法だと思っていました。これからは社会人として、一人の大人として、自分の足で立ち、少しずつ恩返しをしていきたいと思います。これまで与えてもらった選択肢や安心を、今度は自分が返していけるように。いつか、心配をかけることよりも安心してもらえることの方が多くなるように。

これまで本当にありがとう。

僕が何かに挑戦するたび、その背中を押してくれたこと。うまくいかないときも、変わらず見守ってくれたこと。その一つひとつに、心から感謝しています。

陸上競技では、最後まで納得のいく結果を残すことができませんでした。それでも、この4年間を通して得たものを、これからの人生で少しずつ形にしていきます。

まだまだ未熟ですが、これからもよろしくお願いします。


改めて、この佐々木という人間を支えてくださった皆さん。

何度も心が折れかけ、立ち止まりそうになった僕を、今日まで立ち上がらせてくれて本当にありがとうございました。

この競走部で、素晴らしい仲間たちとともに泥臭く戦い抜けたことを、心から誇りに思います。




明日は、仕方なく跳躍ブロックの片山大地にお願いしました。

おそらくどんどん恥ずかしくなってくるので、先に言っておきます。

4年間ありがとう。


僕には到底届かない存在だった片山と、今こうして肩を組んで笑い合えること。悔し涙を流せたこと。共に戦えたこと。

そして、片山に敵わなかったことを心の底から悔しいと思える今この瞬間も僕にとってはあまりに贅沢すぎるものでした。


出会いは中学1年の夏です。

今では見る影もない純粋な片山と、今と変わらぬ愛くるしい佐々木。

二人の名前が並ぶ電光掲示板を眺めたあの頃、まさかお互いこんなに苦しい陸上人生になるとは思ってもいませんでしたね。


もう一度、いつかきっと。

そう思いながら、そしてそう思われながら競技をする片山はきっと誰よりも辛かったと思います。


だからこそ、あの跳躍は嬉しさ2:悔しさ8くらいの割合で嬉しかった。

かっこいいと思った。

中学の時、同学年の幅跳び選手みんなが憧れた片山が戻ってきたと思った。

やっぱりすごいやつなんだと改めて思った。きっとお前はまだまだもっとすごいと思う。


あとはそのモジャモジャの髪の毛切って、純粋な心を取り戻すだけ。


今後の人生でお前のことはいろんな意味で忘れないと思う。忘れたいけど忘れられないと思う。

いつでも誘って。行けたら行くわ。

明日はよろしく。



最後になりますが、この場をお借りして、いつも競走部を温かく見守ってくださる皆様へ、ひとつだけお願いがございます。

競走部は、華やかな舞台でエンジのユニフォームを躍動させ、脚光を浴びる選手たちだけで成り立っているわけではありません。

眩しいスポットライトの当たらない場所で、度重なる故障や不振に苦しみ、思うような結果が出ない焦燥感と戦いながら、それでもなお過去の自分を超えるために泥臭く努力を重ねる部員がいます。

どうかこれからも、表舞台で結果を残す選手だけでなく、暗闇の中で懸命に自らの限界をこじ開けようとする一人ひとりの小さな挑戦にも、温かい眼差しと声援を注いでいただけましたたら幸いです。


4年間、本当にありがとうございました。

それでは失礼します。