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部員日記

由井 響:たかが陸上、されど陸上

平田から引き継ぎました短距離ブロック4年の由井響です。


平田からの紹介でもありましたように、本当にこの4年間、一番長い時間を一緒に過ごしたのではないでしょうか。

寮や練習などの日常生活はもちろん、教職も一緒に取って、授業にも一緒に行きました。


思い出に残っていることを思い出してみると、


初めて会った時は先輩と勘違いして、ずっと敬語を使いました。

初めて戸山キャンパスに行って、スタバを飲んで、大学生っぽいことをして2人で満喫しました。

なぜか授業でジャンボリミッキーを踊りました。

誕生日なのに寮で暇そうにしている平田を捕まえて、勝手に軽井沢のアウトレットに連れて行って、爆買いさせました。

そして帰りの自転車で転んで、全てぶちまけました。

一緒に蹴上がりの練習をして、彼は骨を折りました。(あんなに病院行けって言ったのに)

プロ野球のオープン戦に連れて行って、9回裏に大逆転するミラクル試合も見ました。

介護体験も2人で行って、真夏の超暑い日にスーツで全力ダッシュしました。

人生初の一番くじに連れて行かれて、とんでもないでかい景品を当てました。


これだけではありません。たくさんのことを一緒に経験し、乗り越えてきました。


こうやって寮を出て一人暮らしになると、やはりあの楽しかった日々を思い出します。


もう一緒に生活することはないですが、今後も良き仲間として、付き合いは続くはずです。


平田は一番の苦労人でした。

この表現がふさわしいのかはわかりませんが、みんなも同じように思っていると思います。

諦めず、腐らず、曲がらず、まっすぐに努力してきた姿に救われた人、勇気をもらった人、たくさんいると思います。


10年間お疲れさま、和くん。そして今後もよろしく。

(卒論がんばれ!!)




そして今日は11月1日。全日本大学駅伝の日であり、私の誕生日でもあります。


全日本の結果は、

大会記録を3分以上縮めて 

16年ぶり6回目の優勝!!

おめでとう!!!圧倒的でした

二冠目です!!!

早稲田が駅伝三冠を達成したのは、16年前の2010年のことです。

まだ21年しか生きてない私ですが、

まさか自分が競走部に所属している間に、こんな瞬間に立ち会えるなんて。ただただ、幸せです。


お正月が楽しみになってきました。




これで部員日記を書くのも最後になります。

早いです。早すぎます。

4年生みんなが口をそろえて言うように、4年間はあっという間でした。


最後の部員日記では、陸上以外に触れようかなと思います。(結局、触れますが笑)



実は私は昔から大の早稲田ファンでした。

というのも、小さい頃からずっとアルペンスノーボードをやっていた私は、お兄さん的存在でもあった、早稲田大学スキー部OBの神野愼之助さんに憧れ続け、小学校から高校、そして今までを過ごしてきました。

  ↑小学生の時は毎日のようにスキー場に行ってました


なので、スポーツを見る時は、野球でも陸上でも駅伝でも、なんでも早稲田ばかり応援していました。


つまり私は、入学する前から、既に臙脂に染まりかけていたのです。

スノーボードから野球、そして陸上競技を経て、

ついに、早稲田大学に合格し、本当に臙脂に染まりました。

臙脂に対する思いは一番強いと思っています。

いや、あの人には負けるかもしれません。(また後ほど紹介します。)


だからこそ、どんなに苦しくても厳しくても、この色を追いかけて、必死に食らいついてきました。


しかし、結局4年間のインカレで、個人として持って帰ってきたのは、わずか2点のみでした。


少し前なら、2点で満足していたかもしれません。

でも今は、「もっとこうできたな」「もっと練習すればよかったな」と、後悔でいっぱいです。

でも、それだけ強くなったと信じて、臙脂を脱ぎたいと思います。


そして、平田に先にネタバレを食らいましたが、来年も陸上競技を続けることにしました。

高校から陸上競技を本格的に始めた私にとって、第3章が始まります。


もう臙脂で走ることはできません。

その寂しさと絶望感を味わいながら、それでも、新しい道へと進んでいきます。



高校まで小さなコミュニティで生きていた私にとって、早稲田大学で陸上競技をすることは、本当に挑戦であり、たくさんの成長をもらえた場所となりました。


かっこいい先輩たちがいて、

頼もしいライバルたちがいて、

安心できる同期がいて、

かわいい後輩たちがいる。


あまりにも恵まれすぎた4年間でした。


思い描いた結果は残せませんでしたが、


『早稲田でよかった。』



そして、最後に。

これまでご指導いただいた監督、コーチ陣、スタッフの皆様。なかなかうまくいかないこともありました。大半は苦しく、難しい日々でしたが、

4年間本当にありがとうございました。


先輩方や同期にも本当にお世話になりました。

もう一緒に練習できないのが寂しいです。


そして、1・2・3年生。

4年生として、「後悔するな」としか伝えられませんが、113代目、そしてその後の世代も本当に応援しています。



第2章 早稲田編 ―完―



明日は森田に渡します。


バトンをつなぐことはありませんでしたが、

引退リレーで日記を渡せて嬉しいです。


今回平田から「必然的」に日記を回してもらい、日記は森田にも、偶然ではなく「必然的」に回りました。きっとこれはもう運命的に導かれているのでしょう。

嬉しいです。


森田とは、寮の仲間以外では一番仲が良くて、一番気が合って、一番のライバルだったかもしれません。


大学に入って初めて一緒に練習したのは森田でした。

同期と初めて試合に行ったのも森田でした。


U20日本選手権、なぜか2人で奇跡的に2日前に現地入りするという選択を取り、見事に台風を回避し、2人そろって入賞したこともいい思い出です。


森田は、高校時代から臙脂にWを背負っていた、エリートです。先ほど「臙脂愛で勝てない唯一の人」と言ったのは、そう、森田のことです。


大学1年の時からそのエリートっぷりは遺憾なく発揮され、1年時には関東インカレでマイルを走ったり、2年では日本インカレで入賞するなど、頼もしすぎる同期でした。


森田を一言で言うなら、お手本のような陸上競技者でした。

練習の取り組み方、試合への準備、そして試合のパフォーマンスも完璧だったと思います。

その代償として、怪我もありました。

ですが、怪我の治し方さえも隙がなく、盤石でした。

全ての陸上競技者に見てもらいたいくらいでした。


4年間、お互いに切磋琢磨し合い(私が森田に何か影響を与えたかは分かりませんが)、本当に濃い時間を過ごしました。今年の冬はもっとお世話になる予定です。


まずは、森田もお疲れさま。

冬はスキーの季節だな。もう今年の冬は行きたい放題だぞ!!


明日はよろしく!

そして、これからもよろしく!



最後までお読みいただきありがとうございます。

全日本大学駅伝優勝の興奮冷めやらぬ日々が、しばらく続くことと思います。

一方で、寒暖の差の激しい季節でもありますので、くれぐれもご自愛ください。

そして4年間本当にありがとうございました。

それでは、失礼いたします。