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森田陽樹 : 私の陸上競技
こんにちは。
由井から引き継ぎました。短距離ブロック4年の森田陽樹です。
最後は誰から回ってくるかなと考えたときに、かなり前からなんとなく由井な気はしてました笑、ありがとう。
昨日は熱い紹介をありがとう。
由井の紹介でもありましたが、彼が最初にグラウンドに来た時、はじめて一緒に練習しましたね。たしかビルドアップかな?足ほそ!ってなりました。あの頃からはお互いかなりでかくなりましたね。U20も懐かしいです。2日前移動は大成功でした。
由井といえば…で出てくるものはたくさんあります。一緒に遠征もたくさんしたし、鴨川後にそのままゲレンデ合宿に行ったこともありました。そして何より陸上大好き。由井の陸上競技への愛は凄まじいです。多分僕より陸上競技が好きなんだと思います。
そして、僕は覚えています。たしか2年くらいの時に所沢のスタバで早稲田の4継走りたいと、リレーに対する熱い想いを語り合ったことを。宣言通り、短短ブロック長として、4継の長として背中で語ってくれました。由井は4継を僕はマイルを、とその時語った熱は冷めることなく最後の日本選手権リレーまで走り切れたと思います。
由井さんはこれから何色のユニフォームを着るのだろう。やはり君は臙脂だよ。
ずっと調子良くないって言いながら、ハム痛いって言いながら走れちゃう由井。やばいです、やばいです、言いながらはしゃいで楽しそうに何かに没頭していたり、静かに表情一つ変えずにたまにキレてる由井と陸上競技できて楽しかったです!本当ありがとう。
由井が同期にいてくれてよかった。バチバチに刺激もらってました。
まずは、お疲れ様。
今年の冬はたくさん滑ろう!
これからも頼むよ!由井!

最後の部員日記です。
私の歩んできた陸上競技について、
私の思う陸上競技について書かせてください。
決してエリートと呼ばれるような陸上人生ではありませんでした。中学から始めた陸上競技でしたが、とても全国レベルに出場できるような実力はありませんでしたし、私自身も目指せる場所だと思ってもいませんでした。毎年県大会に出場し続けていたことを誇りに思っていた中学時代。何とか最後の大会で関東大会に出場するだけで終わってしまいました。顧問の先生、そしてお世話になった外部コーチの先生からは、高校で真面目にやればもしかしたらインターハイに行けるかも知れないよ、と言っていただいたことだけ覚えています。それくらいの実力でした。
高校時代は人生の変革期でした。1年目は陸上競技を舐めていました。正直、これといった記憶も残っていません。口では高校3年時にインターハイに行くと豪語していましたが、現実を何も知らずに、見ようともせずに、ただ毎日グラウンドに来ていただけでした。2年のある大会をきっかけに本気で陸上競技に取り組み、また競走部を意識するようになりました。そこからは、昨年まで競走部で短距離コーチをされていた田村先生と二人三脚で全力で駆け抜け、最終的にはリレーと200m、400mでインターハイに出場できましたが、全て予選敗退に終わりました。
そこからは、大学でどう陸上競技と向き合うか、早稲田大学競走部で自分はどうなりたいのか、それを考えるようになりました。そんな時、その年の日本選手権リレーで優勝された先輩方をみて、どうしたら早稲田のマイルで走れるようになるのだろうと、田村先生に話に行ったのを覚えています。当時の自分からしたら到底叶うはずもない雲の上の存在。一年時は、先輩方と一緒に練習するのがただただ怖かったです。今思えばそんなことは当たり前です。なぜならそれだけのことをしている先輩方だからです。陸上競技に対する想い、姿勢が高校生と比べるのすら失礼に値すると今では思ってしまいます。早稲田での最初の2年間は競技をする上で大切な考え方、そして競技者である以前に人として、早稲田の学生として成長することができた年でした。
自由な校風の高校時代を過ごした私からしたら、「一年生としての役割」について理解するのには苦労しました。学年の中でもこれについて何度も衝突しましたね笑。なぜ掃除をするのか、なぜ先輩方より早く集合するのか、など。その都度、自分なりに、自分たちなりに意味を持たせてやってきましたし、その都度先輩方からも教わってきたつもりでした。ただ、今思えばその意味が十二分に分かります。考えてみれば、当たり前のことです。グラウンドは自分たちのものではない、ならば使わせて貰っている以上綺麗にするのは当たり前。「人という字はヒトとヒトが支え合っているとよく言うが、支えてくれる人がいて、はじめて上に向かって真っ直ぐに立つことができるのだ。」という言葉をどこかで耳にした時は、かなり腑に落ちました。私が今この場に立てているのは支えてくれる人がいるからで、そして私自身も支える立場となることで、はじめて真の人になれると。そう考えると早稲田での最初の2年間はそういう当たり前を創るために、今まで立たされていたということ、そして今後1人では決して立てないのだということを改めて気づかせてくれた、そんな2年間でした。
競技面では、1年時から臙脂に袖を通させて貰い、主要大会のマイルの予選のみ起用してもらいました。デビュー戦が関東インカレのマイルで、臙脂を着れる喜び以上に緊張と不安で押し潰されそうだったのを鮮明に覚えています。最初のバトンパスは眞々田さんでした。信じられないくらい早出しました。日本インカレは新上さんからバトンを貰いました。こちらも早出し、「俺じゃなかったら渡ってなかった」とまで言われてしまいました。選手権リレーも新上さんから貰いました。完璧なバトンでした。
夢にまで見た早稲田のマイル、決勝も走りたかったですが、毎回外されました。そして決勝後、出口へ急ぐと、走り終わった先輩方から「森田、すまんかった」と言われ、何と言えば良いか、どんな表情をすれば良いのか分からず、ただひたすらにこの先輩方でも勝てないのか…と。でも本当は、悔しさだけではなかったかもしれません。自分じゃこの想いを背負えない、どこか外されたのに落ち着いている自分が心の奥にいた気がします。うまく表現できない複雑な心情でした。大学で、早稲田で陸上競技をすることについて直に突き付けられた1年でした。
2年時は怪我で前半シーズンを棒にふるいました。長かったです。でも、この時期があったからこそ今の自分があると言えるでしょう。臙脂授与式で隣の同期が前に整列し、どこか空いてしまった同期との間。居心地の悪さ、自分だけ取り残される感覚、対校戦で感じる選手との温度差、距離、スタンドからの景色、はじめて陸上競技が嫌になった時期でした。そんな時、原動力になったのは眞々田さんの存在でした。鴨川合宿で開いた短長ミーティングでは、「400ブロックで全カレ10点以上取る」という目標も掲げ、冬からとにかく一緒に練習させてもらい、この人についていけば絶対強くなると感じていました。だからこそ、合宿の時点で私が決勝に残る未来を想像してくれていたことが何より嬉しく、その期待に数字で応えたいと心から思えたこと、そして強くなった自分を信じたい、証明したいと思えたことが競技力の向上に繋がったと思います。その年のインカレでは4位、マイルでは2位に終わりました。ずっと追いかけてきた眞々田さんと走れる最後の大会、日本選手権リレーも頂点に立つことはできませんでした。想いを引き継ぎ、来年以降は自分が、と強く思えたきっかけでした。眞々田さんがいたからここまで来れたし、眞々田さんから400mを、そして早稲田の短長を学びました。本当にありがとうございました。
3年時はステージが上がり、自己記録も更新し続けたシーズンでしたが、どこか勝ちきれない、そんな年でした。その年の日本インカレではマイルで予選落ち、早稲田を背負う以上、やってはいけないレースをしてしまいました。
幹部として迎えた4年目。何よりも結果を求めつつ、チームの先頭を走る、覚悟を持って臨んだ最後の年でしたが、なかなか思うようにはいきませんでした。日本インカレマイル決勝前。今まで感じたことのない想いで溢れました。
何かに操られているような、何かが纏っているような。手先が妙に冷たく、熱を持っているような、痺れ、身体の芯から高揚し、血液がまわる感覚、鼓動は早めだが、呼吸は安定している。それなのに、心が震えるようなあの感覚はもう一生感じることはないでしょう。
ちなみに、これを書いているのは日本選手権リレー決勝の次の日です。最後の最後まで金だけ獲れませんでしたが後悔はありません。この仲間と同じグラウンドで陸上競技ができて幸せでした。これほどまでに、熱中し、正面から素直に取り組んだ経験は私の誇りであり、一生の宝です。
私は陸上競技をする上で、いかに自分を信じられるか、が大切だと思います。一緒に練習する仲間、支えてくれる家族、OB、先輩の方々、そして監督、コーチ陣、1人では決してできない陸上競技ですが、いざスタートする瞬間は1人。支えてくれる人を感じながら1人でそこに立つ。これまでの全てを賭けてトラックを一周する。緊張や不安、できる気がする、勝てる気がする、全て自分という1人の陸上選手から湧き上がる感情であり、そこに他の人は干渉しない。他の人に感情を左右されてはいけない。走る前の感情は自分でコントロールするべきものだと思います。今までやってきたこと、自分の得意とするレースパターン、試合でやりたいこと、全てを信じて、スタートラインに立てるか。過去の自分を信じられるか。自分に身をまかせ、余計なことを考えずにその場に立てるか。それをするためにはやはり、立たせて貰っていることの認識とその上で自分が立つという覚悟が必要だと思います。誇りだけでは足りません。覚悟がないとそのユニフォームを着る資格はないと僕は思います。
今こうして振り返ると、まるで山登りのようだなと思うことがあります。当たり前のようにみんな、山頂を目指していますが、果たして本気で目指しているのか。もっともっとやれる事があるのではないだろうか。高校までは学校の先生、顧問の先生がレールを敷いてくれます。最短ルートで通りやすい安全な道を教えてくれて、一歩一歩進めれば確実に上には上がれるでしょう。もちろんそれを否定している訳ではありません。そもそもそのプロセスが無ければ、登り方も、ジャンプの仕方も、転んでから立ち上がる方法も全てが手探り状態です。導くことで、導かれることで、成功体験を積む経験は重要だと思います。でも大学は同じようには行きません。少なくとも早稲田は違います。自分で山の高さを決めてそこまでのプロセスも考え、自分で進むのです。監督、コーチ陣も導いてくれます。頼れる先輩、同期、後輩もいます。
けれど、結局自分は何がしたいのか、どうなりたいのか、どうなるべきなのか、が大切であり、それを思考するプロセスで1人の競技者として、1人の人間として、そして何より、早稲田人として成長できるのだと僕は思います。思考を放棄してはいけません。そしてただがむしゃらに歩けば良いというものではありません。地図なんてものは存在しないのです。時には別の道を歩くことも必要だし、前に進めなくなったら横に歩くのも大切だと思います。疲れたら少し休んだって良いと思います。後ろを振り返って今まで歩いてきた、登ってきた道のりを確認することも大事だと思います。ただ、その都度自分が取る行動、言動に責任を持たなければなりません。
横を見ればライバルがものすごい勢いで登っているのを見るかもしれません。上を見過ぎてはもうすぐで頂上だと誤解し、足元が掬われるかもしれません。そして、我々が登っている山は非常に世間からも注目されます。それは過去の先輩方が築いてくださった臙脂の伝統があるからです。そして、その山を登ることすら叶わなかった人が何人いるのだろうか。我々はそれらを考えなければなりません。考えた上でグラウンドに立たなければなりません。しかし、ほとんどの人は山の高さしか評価してくれないのも事実です。どうやってそこまで辿り着いて、どんな道を歩んできたのか。見てくれる人はほんの僅かです。だからこそ我々は臙脂を着る以上、結果を出さなければならないのです。結果を出すことでしか本当の意味でやってきたことが正解だったか分からないからです。早稲田は金メダルしか評価されません。けれど、絶対に自分の登り方をみてくれている人がいるのも事実です。頑張るだけでは報われませんが、頑張らなければ報われることはないでしょう。自分の中の絶対を見つけて、探して、それを信じてやり続けることが大事なのではないかと思います。必死に貪欲に自分と真正面から向き合いながら、試行錯誤をしながら登っている仲間と共に、やり続けるしかないのです。
そして、陸上競技には嘘はつけません。ついてはいけません。正直でなければならないと思います。頭では自分のことを騙すことはいくらでもできます。けれど練習でできないものは試合ではできないし、寝て起きたら急に足が速くなったりすることもなく、足の痛みが急になくなることもありません。敗北には必ず理由があって、自分がそれを一番よく知っているはずです。そこから決して逃げず、正面から向き合って、自分に嘘をつかないことが大切だと思います。
みなさんと陸上競技ができて本当に楽しかったです。最後の最後まで満足のいく結果ではありませんでしたが、競走部で陸上競技ができてよかったと胸を張って言えます。本当にありがとう。みんなに出逢えてよかった。
私が後輩に、早稲田に、何を残せたかは分かりません。私が受けてきた先輩方からの姿勢を後輩に示すことができていたのか、臙脂のユニフォームを着る私が他人の目にどう映っていたかは分かりません。4年前から考えてきた早稲田人に果たして自分がなれたのか、この色に相応しい人間になれたのか。そんなことは分かりません。
ですが、気づけば、
憧れから誇りになり、それが覚悟へと変わっていました。
もう袖を通すことのない臙脂のユニフォームですが、私の目には4年前とはどこか違った色に見えています。その色を大切にしながら、新たなステージでも地に足つけて、頑張ろうと思います。
私たちを導いて下さった大前監督、コーチ陣のみなさん、本当にありがとうございました。最後の最後まで僕は早稲田に金メダルを持ち帰ることが出来ませんでした。これからは競走部OBの一員として後輩たちの活躍を心から応援しています。
田村先生にお礼を言いたいです。7年間、楽しかったです。田村先生がいたから今の自分がいます。先生に出逢えて良かったです。
僕に陸上競技を教えてくれて、僕を信じてくれて、導いてくれて本当にありがとうございました。そして、愛媛の寿司屋で僕に競走部を教えてくれてありがとうございました。
そして、何より私の競技を心から応援してくれた家族にありがとうと伝えたいです。1人では到底立てない場所に立たせてもらいました。思う存分、陸上競技に向き合わせてもらいました。ありがとうございました。
すみません、最後の最後にもう一つだけ。
渕上、権田。
2人とは3年間マイルを一緒にやってきました。もういいよ、ってくらいバトンジョグしましたね。特に渕上にはめちゃめちゃバトン渡した気がします。俺は見えなかったけど、2人には頂上からの景色を見て欲しい。きっと頂点にしか見えない景色があるんだと思う。あと1年、マイルを引っ張り、強い早稲田のマイルの1ページを創り上げて欲しいなと思います。君たちは強いので絶対にやれる。表彰台の真ん中で輝かせてください。
一緒に陸上競技をしてくれてありがとう。
明日は引退リレー最後です。バトンを受け取ってもらうのは、主将、関口です。
もう長くは語りません。
いろいろあったな。112代目。
いろいろあったけど、
俺たちの主将が関口で良かった。
この1年半、関口にはいろいろと背負わせてしまった。主将関口の背中が、俺の目には小さく見えることもあったけど、それでも俺たちらしく最後まで走り切れた。
関口はいつの日からか、「最後はみんなで一緒に笑いたい」と言い続けていました。少なくとも俺は、関口が俺たちの先頭に立ってくれたからこそ、こうして今、競走部で陸上競技が出来て良かったと胸を張って言えるし、正面から陸上競技に、そして何より早稲田に向き合えたかなと思ってる。ありがとう。
関口が別の色のユニフォームを着ている姿はあまり想像できないし、少し寂しい気もします。でも、関口は関口らしく、好きなように走る姿をスタンドから観たいです。
そして、多分それが一番速い。
余計なこと考えず100mを速く走れ。
主将お疲れ様。
明日はよろしく。
これからもよろしく。

大変長い文章になってしまいました。
最後までお読みいただきありがとうございます。
後輩の皆さん、競走部を考えてるみなさん、
みなさんの活躍を心から祈念しております。
それでは、さようなら。











