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筒井航佑 : 少しは近づけたかな。
こんばんは。
カイシンから引き継ぎました、中距離ブロック長の筒井航佑です。
最後の部員日記がカイシンから回ってきたことを嬉しく思う一方で、3回に及んだこいつとの部員日記リレーもこれで終わりだと思うと、どこか寂しいように感じます。最後くらい真剣に書こうと思います。
今更書くことでもありませんが、1年の時から開伸の周りは笑顔で溢れており、僕らのムードメーカーです。一方、ミーティングでは鋭い意見を出し、短距離ブロック長としての責任感も強く、チームを大きく支えてくれた1人です。また、僕という一個人を大きく助けれてくれた1人でもあります。今シーズンは上手くいくことが少なく、何度も心が折れかけました。ですが、同じような境遇でひたむきに頑張る開伸の存在は非常に大きなものでした。7月には初めて開伸の本音を聞く機会もあり、種目は違えど、互いに切磋琢磨してきました。ここまで何とか走り抜くことができたのも開伸のおかげです。ありがとう。最後、今週末のレース楽しみにしていてください。
引退後も開伸とは絡むんだろうなぁと僕も思います。呼ばれたら行くし。卒業後も一生付き合っていきたい仲間です。
そろそろ行こう。
3週間前の日本インカレで、早稲田の代表として臙脂を纏い、闘う試合が終わりました。
遅くはなりましたが、改めて早稲田大学の応援ありがとうございました。
インカレでは最低限入賞を掲げ、110代目の目標であった「総合優勝」に1点でも多く貢献したかったですが、それを達成することができず、悔しい限りです。僕にとって日本インカレは特別な対校戦でした。初めての対抗戦だった早慶戦から全ての対(抗・校)戦に出場させていただきましたが、唯一チームに得点をもたらすことができなかったのが、日本インカレでした。だからこそ、懸ける想いも大きく、何も成し遂げることができずに終わってしまったことが悔しいです。
今回が最後の部員日記になると思うので、4年間を振り返りたいと思います。
4年前、「日本選手権の舞台で走る」という目標を掲げ、競走部の門を叩きました。礒先生と初めてお話しした際に「1分48秒で走れ」と言われ、ビクビクしながら「はい」と応えたことを今でも覚えています。初めてグラウンドに行った際には、日本代表経験のある選手やIH入賞者など、日本のトップ選手ばかりで圧倒されると同時にワクワクしました。初めての集合挨拶では、今を含めても人生一緊張した場面で、噛み噛みになりながら何とか終えたことを覚えています。こうして、僕の競走部生活は始まりました。
とはいうものの、当時の僕はブランク明けで太っており、体型を戻すところからスタートしました。当時、中距離ブロックはなく、肩身も狭かったので、グラウンドの片隅で活動していました。その名残で集合後には今も定位置に行っていますが、今となっては落ち着く場所です。高校時代の練習量には自負があったのですが、最前線で戦っている同期の取り組みに驚き、強さを納得すると共にこのままではいけないと強く思いました。それ以降、部活が終わって帰宅後に自宅近辺で坂ダッシュをしたり、ロングジョグをする等、コソ2部練をしていたのは良い思い出ですし、このお陰で強くなれた部分もあると思うので、同期には本当に感謝しています。シーズンが後半に進むにつれて、少しずつ走れるようになりました。早慶戦では、今まで感じたことのないプレッシャーを感じ、これが早稲田の代表として臙脂に袖を通すことの責任なのだと感じました。
2年目は「競走部人生の転換期となった」シーズンでした。
専門外の種目に取り組み、シーズンインから自己記録を連発できました。六大学対校や関東インカレ等、素晴らしい会場や雰囲気の中で走れたことから更なる躍進を目指せました。7月には日本選手権標準記録突破・早稲田歴代5位というタイムを記録することができ、これほど陸上が面白いシーズンは初めてでした。また、このときに中距離ブロックが復活し、ブロック長を任せていただいたことは競走部員としての自覚と責任が芽生える大きなきっかけでした。
3年目は「耐えた」シーズンでした。
自身の走りに納得のいかないことは多かったですが、それでも学生個人選手権での大学全国初入賞や去年の順位を超えた関東インカレでの4位入賞など、着実に強くなっていることを実感できました。関東インカレでは、悔しい思いはありつつも、坂本がタイトルを取ってくれて、「強い早稲田の中距離が帰ってきた」という言葉と共に、4年次の早稲田での2連覇を目指すきっかけをくれたことは非常に嬉しかったです。また、入学時に掲げた目標であった日本選手権をはじめとするGPシリーズへの出場など、次のシーズンに向けた良い経験ができたシーズンだったと思います。
4年目は「支えを実感した」シーズンでした。シンガポール遠征では、異なる環境下でのトレーニングや初めての海外レースといった競技面だけでなく、現地の方々との交流を通じ、1人の人間として多くのことを得ることができました。これも多くの方々のご支援があったからです。その後も苦しいシーズンが続きましたが、同期や後輩の支えもあり、両インカレでのトラック優勝や早慶戦での優勝を勝ち取ることができました。ただ、シンガポールでの貴重な経験を活かし、4年生そしてブロック長として、結果という形でチームを牽引することができなかったのは心残りです。そんなブロック長である僕が頼りない状況下でも、関東インカレで中距離ブロックの後輩である岩下が入賞してくれたこと、日本インカレの1500mで岩下が決勝に、800mで岩下と水嶋が準決勝に進出してくれたことに助けられました。
岩下と水嶋ありがとう。
最初で最後の一緒に走れる機会にも関わらず、スタンドから見ることになってしまったのが、申し訳ない限りです。
僕が入部したときにはブロックすらありませんでしたが、今となっては多くの逞しい後輩たちに恵まれ、「競走部の中距離ブロック」として共に活動できて幸せでした。ありがとう。僕が達成できなかった目標は3つ。
「関カレ優勝」「全カレ決勝」「早稲田記録」
この3つの目標は君たちに託します。
「強い早稲田の中距離であれ」
「日本選手権の舞台で走る」という当時はイメージすら湧かなかった目標をまさか達成できるなんて正直思ってもいませんでした。これも、ブランクを抱えた僕を受け入れてご指導してくださった監督・コーチ陣の方々、偉大で僕の道導だった先輩方、密な時間を過ごして共に成長してきた同期、突き上げてくれた後輩たち、あらゆる方面で支えてくれた家族、僕の陸上競技人生に関わってくださった全ての方々のおかげです。この場を借りて感謝申し上げます。
ありがとうございました。
改めて4年間を振り返ると、競走部でしかできない経験を通じ、1人の人間として成長できたと感じています。
早稲田の競走部で競技ができて幸せでした。
明日は短距離ブロック4年の佐藤カルタにお願いしました。
最後の部員日記は絶対こいつに回すと決めていました。実は最初で最後なんです。
カルタは僕にとって双子のような存在です(もちろん、カルタが弟です笑)。約3年半前、仲良くなったきっかけは覚えていませんが、それからというものの、部活動をはじめ、授業、ゼミ、オフ等、あらゆる時間を一緒に過ごしてきました。2年のシーズンインで同じ組の400mに出場した際には、「カルタに勝つ」ということを強く意識したのを今でも覚えています。今シーズンの彼は5年ぶりに自己記録を更新し、その後も自己新記録を出し続けました。ですが、この背景には悔しさやもどかしさからくる葛藤を乗り越え、並々ならぬ努力があったことを僕は知っています。彼が部室で弱音を吐いていた時、僕は彼に厳しいことを言いました。今、当時の彼の身になってみると、怒りを覚えたんじゃないかなと思います。実際、自己記録更新に至るまでに彼が抱えてきた辛さを僕が理解することはできませんし、彼自身にしか解らない、解ってはいけないものだと思うからです。ですが、当時の彼に諦めてほしくなかったですし、彼ならできると信じていました。結果、4月に彼の記録の隣に★自己新記録★の5文字を見た時はとても嬉しく、部内で誰よりも喜んだ自覚があります。ですが、まだです。明後日、47秒代で走ってくれると信じています。また、その前にはカルタと同じ組で走るラストレースがあります。約2年半前同様、早稲田で隣のレーンです。勝たせていただきます。
「17」この数字の意味が分かったら、天才です。
最近急激に冷え込んでいるので、体調には十分にお気をつけください。
それでは、またどこかで。