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田中美雪:故
こんばんは。間瀬田より引き継ぎました。田中美雪です。
この度、副務を務めさせていただく運びとなりました。
至らぬ点もございますが尽力して参りますので何卒よろしくお願いいたします。
間瀬田の紹介文にも預かりました通り、彼と話した回数は数えられるほどしかありません。同期なのですが…。しかし、そんな話した量なんてよくて、皆さんご存知の通り彼の走りや競技に対する姿勢には目を見張るものがあります。上手くいかない苦しい、そんな日々が続いている最中かもしれないけれど、誰もが間瀬田を応援しているよ!応援されるというのは当たり前のようで当たり前ではない、だからこそ自信を持ってフルパワーで間瀬田らしく突き進んで欲しいと陰ながら思っています。
夏がくると冬がいいという、冬になると夏がいいという
太ると痩せたいという、痩せると太りたいという
忙しいと閑になりたいという、閑になると忙しいほうがいいという
自分に都合のいい人は善い人だと誉め、自分に都合が悪くなると悪い人だと貶す
借りた傘も雨があがれば邪魔になる
金をもてば古びた女房が邪魔になる、世帯をもてば親さえも邪魔になる
衣食住は昔に比べりゃ天国だが、上を見て不平不満に明け暮れ、隣を見ては愚痴ばかり
どうして自分を見つめないか、静かに考えてみるがいい
いったい自分とは何なのか
親のおかげ、先生のおかげ、世間様のおかげの塊が自分ではないのか
つまらぬ自我妄執を捨てて、得手勝手を慎んだら世の中はきっと明るくなるだろう
おれがおれを捨てて、おかげさまでおかげさまでと暮らしたい (※)
これを読んだ際、
自分は競走部に生かされているんだなと、強く感じました。
ここからの一年は今まで以上に感謝の気持ちを胸に、全てのことに向かいたいと心から思います。
私はあくまでスタッフであり臙脂を身に纏う日は来ない。今までもこれからも、来ない。
自分がやったこと時間を割いたこと努力したこと、どこをとっても目に見える結果には繋がらない。
自分にも走っていた時代があるからこそ生まれる、結果が出ない(今は結果のない)際のもどかしさ。
こんなにも感情の振れ幅が小さくつまらないことがあるのか、と。
全て立場や環境のせいにして浪費している日々がありました。
ですが、このままではいけないと思った瞬間がありました。
ずっと分からなかったこと、なぜ自分の意識が、競走部に対する想いがこんなにも変わったのか。
ですが最上級生となる直前、やっと言語化することができました。それは、
「自分が選んだ道にすら、全力を注げない自分に嫌気が差した」
気づくのが遅かったかもしれない。遅すぎた。後悔しています。
それでも、自分に競走部として過ごす明日があるのなら、その未来が残されているのなら、気づく時期なんて関係ない。
その後悔を噛み締めて、自分が属する組織を想い愛し、その組織の成功の為だけに、自分に与えられた役割を全うし、尽くす。
私にできることはそれしかないと思います。
マネージャーというものは、他スポーツでも他大学でも誰でもできます。
その中で私は早稲田大学競走部のマネージャーを選びました。
一年前、田中が田中であるが故のマネージャーになることを先輩と約束しました。
一年後、胸を張ってそうなれたと言えるよう自分の全てを注ぎたいと思います。
明日は寮長の宮岡にお願いしました。
宮岡は4年間で一度は部員日記を繋ぎたいと思っていた相手です。まさか幹部として繋ぐことになるとは想像もしていませんでした。実は宮岡とは、同じ中学で同じ陸上部に所属。共に汗水流し、練習では襷も繋いだ仲です。中学3年生15歳の宮岡が、「将来は箱根駅伝に出て地元を走る」と言っていたことを今でも鮮明に覚えています。一般組で1年次から2年連続エントリーメンバー入り、これだけでも輝かしいです。そんな彼の夢が正夢になるまであと一歩。絶対叶う。叶えよう!明日はよろしく!
平素より多大なるご支援ご声援をいただき誠にありがとうございます。
111代目の競走部も何卒よろしくお願いいたします。
(※)「おかげさま」詩:上所重助