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部員日記

西徹朗:今年雪降ったっけ?

 こんばんは。千葉より引き継ぎました、ハードルブロック3年の西徹朗です。

 

 昨日の部員日記でも触れられていましたが、私は部員日記を断らない主義です。もし、部員日記を渡す人に困っていたら私にどんどん回してください。頑張っていっぱい紹介を書きますので…。

 

 私から見た千葉ちゃんは聡明さと快活さを持ち合わせ、誰とでも会話ができる人だというイメージがありました。ですが昨日の部員日記によると、最初のころは私のことが怖くて話しかけられなかったそうです。私はそのような印象を受けたことはないので、意外に思いました。おそらく私と話す時はかなり勇気を振り絞っていたのでしょう。それを私に一切感じさせなかった彼女の胆力に脱帽です。インカレなどの大舞台で力を発揮できることの要因がこういう場面にも出ているのだなと思いました。

 冬季練習に入ってからはヨンパーのキツーいメニューがたんまりと出されていますが、千葉ちゃんはそんな中でも多くの人にアドバイスを求め、練習の1本1本を大切に取り組んでいるのが印象的です。しんどい中でも頭を働かせて走る、という400mHで特に大切なことを異粘性のうちから意識して行なっているのは本当にすごいと思います。今は色々としんどい時期だと思いますが、ここを過ぎたらシーズンでの成功はもうすぐそこです。頑張って乗り越えていこう!

 

 

 「努力する」ことってどういうことでしょうか?


  目標を語るときや反省をするときなど、人はさまざまな場面でこの言葉を使います。私たちはこの言葉をどのように理解しているのでしょうか。

 辞書には「ある目的のために力を尽くして励むこと(デジタル大辞泉)」や、「力を込めてことをすること。あることを成し遂げるために、休んだり怠けたりすることなく、つとめ励むこと(精選版 日本国語大辞典)」など、目標に対して力を尽くすこと、努めることなどが書かれてあります(出典については悪しからず…)。なんだかとても堅苦しく、重々しいと感じてしまいます。


  では、「力を尽くす」こととは何か、「努める」こととは何か?

 

 これ以上続けるとキリがなくなってしまうのでこの辺で止めておきましょう。

日本では往々にして、練習をたくさんすることこそが正義で練習をしないことは悪、というような風潮があります。時代が変わって物事の考え方も変化しましたが、このあたりはあまり変わっていないように感じます。実際に練習量をこなすことは正義ですし、練習をしなかったら練習で得たものが失われてしまいます。練習は、殊更冬季練習は多くできるに越したことはありません。

 ですが、頑張って練習をこなそう、周りに置いていかれないようにしよう、ということだけ考えすぎて逆に視野が狭まってしまっている人も見受けられます。我武者羅に練習に取り組むこと自体は悪いことではありませんが、練習の中で得たことに対するフィードバックを行い、次回以降の練習や試合に繋げることで初めて練習は意味を成します。視野が狭くなってしまった人は練習の中で考えたり、後から振り返ったりする余裕がないくらい自分を追い込んでしまいます。そしてさらに視野が狭まっていく。ある意味、負のスパイラルです。

 

 負のスパイラルに陥っては元も子もありません。というわけで、「努力」という言葉の意味を拡張してみましょう。「目的・目標のために、今の自分にできることを積み上げて行くこと。」これなら少しはとっつきやすくなったでしょうか。私のポリシーは基本的にこれです。自分にないものを望んで失敗した経験が幾度もあるので…。ここにはできることを増やしていく、引き上げていくという意味合いもありますが、”今の””自分に”できることというのがミソです。例えば、100m走において11秒5の人が10秒2の人に勝つことや、練習で終始背後に付くことはできません。10秒2の選手のために作られたメニューの設定タイムを11秒5の選手が守ることもできません。いつか出来るようになるかもしれませんが、今の状態では到底届きません。無理なもんは無理です。ですが設定タイムを切れないから、周りについて行けないからといって11秒5の選手が頑張っていない、というわけではありません。仮に11”5の選手が設定タイムを守れなかったとしても、昨日の自分よりも速くなっている、1本前よりもタイムが向上した、などと成長を積み上げているのであれば、それが無駄になることはありません。彼らは今の自分にできる最大値を少しずつ更新していっているのです。これの繰り返しによって足を速くしているのです。他者も大事ですが、自分に目を向けましょう。自分のことは自分で変える他ありませんかた。

 もちろんこの中には休むことも選択肢として含まれています。休むことは、練習や試合に自分の持つ最大限のリソース注ぎ込むための準備をする行為です。怪我やコンディション不良など、休むことで状況が好転することもあります。むしろ、そういう状況を抱えながらも休んだりせずになんとか誤魔化して練習を続け、自分のリソースを減らし続けることは、「努力」という言葉に甘えて自身の思考や判断を放棄しているようにも思えます。当然、休むことにも努力は必要です。なぜなら、休むと言う選択を取ったからには、次に練習に参加するまでに万全の状態まで戻さないといけませんから。また、周囲が練習を頑張っている中で自分だけが休むという状況には並々ならぬ不安が襲ってきます。そんな不安に駆られながらも自分を律し、自分の持てる力を最大限練習に注ぎ込む準備のために練習をしないという選択を取る。これは立派な決断として尊重されるべきであるし、これを努力と言わずして他に何と言うべきでしょうか(もちろん休んでいる期間は短いに越したことはありませんが)。

 

 と、まあここまで長々と書いてきましたが、努力という言葉に縛られすぎないことと、休むことを過剰に恐れてはいけないという話です。

以上、「努力」という言葉に対する、自戒も込めた私なりの考察と見解でした。

 

話は変わりますが、2月1日の室内陸上に出場します。シーズン一発目、景気良く勝って私の最大の目標である日の丸を少しでも手繰り寄せられるよう精一杯“努力”していきます。

 

 

 明日はマネージャーブロック1年の眞下にお願いしました。千葉ちゃんから部員日記を貰った流れでダイレクトパスをしましたが引き受けてくれました。ありがとう!

 眞下への第一印象は、すごく真面目で頭の良さそうなマネージャーが入ってきた、でした。実際に彼は練習の計測で声を枯らすほど大きな声を出したり、倒れ込む寸前までグラウンドを駆け回ったりなど、バイタリティがありすぎる1コ上のマネージャーに引っ張られながら日々奔走しています。そして、彼にはもう一つ大きな武器があります。それは、圧倒的な親しみやすさです。最強の後輩力ともいうべきでしょうか。話しかけたらすぐに笑顔で反応してくれるし、常にポジティブなオーラを放っています。彼がいるだけで周囲が1段階明るくなるほどです。もうすぐ学年が上がり後輩も入ってくるということで、彼の圧倒的な後輩力は鳴りを潜めてしまうかもしれないと少し寂しく思いますが、先輩として後輩を引っ張っていく眞下をみていたい気持ちもあります。いずれにしろ、彼が今後どう変わって行くのか、はたまた変わらないのか、楽しみに見守っていきたいと思います。

 

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

それでは、失礼します。