
最新ブログ
堀野正太:スーパースターに挫折はつきもの

こんばんは。
藤本涼哉から引き継ぎました。長距離ブロック1年の堀野正太です。
タイトル写真は私の誕生日に瀬間さん、立迫さん、大和田さんとごはんに行った時の写真です。
藤本は私と同じ兵庫県が出身です。学部や寮は違いますが、試合の申し込みを一緒に行い仲良くなることができました。
チーム兵庫として共に頑張っていきます!
初めての部員日記は私のこれまでの陸上人生について書きたいと思います。私は中学生の時に陸上を始めました。最初は陸上部ではなく野球部に入部しようと考えていました。小学生のころに少年野球チーム全員で出場したロードレースで3番になったり、体力測定のシャトルランで学年の中で1番だったり、陸上の方が野球よりも才能があると感じることが多くありました。そのため、野球よりも陸上のほうが周りの人にちやほやされると感じ、陸上を選びました。
中学1年生の頃は1500mが5分13秒で3000mが11分11秒でした。小学生の時は自分に陸上競技の才能があると思っていたのに、駅伝メンバーに入ることができず、かなり落ち込んだ記憶があります。そこから必死に努力し、3000mの記録は9分00秒まで伸ばすことができました。しかし目標にしていた全国大会に出場することができませんでした。そのため、高校では全国インターハイに出場するという目標を持ち、公立高校に進学せず、須磨学園高校に進学を決めました。
高校1年目は怪我で長期離脱することがなく、中学時代にかなり練習量が少なかったこともあり、かなりタイムを伸ばすことができました。12月に5000mを14分8秒で走ることができ、1年生の中であれば、かなり速いタイムだったと思います。しかし、2月に怪我をし、無理に伊那駅伝を走り怪我が悪化してしまい、長期離脱することになってしまいました。そのため2年目のインターハイシーズンは良い結果を残すことができませんでした。その後は怪我をすることなく練習を積むことができ、全国高校駅伝はそれなりに良い走りができました。このまま順調にいけば全国インターハイは出場するだけでなく、表彰台も夢ではないと感じていました。しかし、ここでも1月に怪我をしてしまい、全国都道府県駅伝を無理に走り怪我が悪化してしまいました。3月にその怪我は完治することはできたのですが、5月ごろに脛骨の疲労骨折をしてしまい、2年目同様まったく良い走りができず私のインターハイは終わりました。今までに経験したことが無いくらい落ち込み、立ち直るのにかなり時間がかかりました。ロードに自信があったため、この悔しさは全国高校駅伝で晴らすのだと気持ちを切り替えて、練習に取り組みました。しかし、10月にも脛骨を疲労骨折してしまい、全国高校駅伝では痛みに耐えながら走りましたが、まったく良い結果ではありませんでした。
このように私の陸上人生は、怪我に悩まされてばかりです。悩んでいる時によく自分に言い聞かせる言葉があります。それはタイトルにも書いてある通り、「スーパースターに挫折はつきもの、だって星は夜輝く」というものです。少し省略しているのですが、これは「4月は君の嘘」というアニメのセリフです。怪我という逆境を乗り越えた先に、活躍することができるという意味が込められていると思っています。今も苦しくなった時にこの言葉を思い出し、頑張ることができています。大学では、悔しい思いをしても最後は笑って終えられるように、全力で頑張ります!
明日は短距離ブロックの松本悠斗にお願いしました。
松本とはクラスが一緒で、よくしゃべる機会があります。私とは違い、とても考えて陸上競技に取り組んでいて尊敬しています。
少し暗い文章になってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。それでは失礼します。