
最新ブログ
矢島杏紀:スタート

こんばんは。松永より引き継ぎました、ハードルブロック1年の矢島杏紀(やじまあき)と申します。
松永は同じ埼玉県出身で、昨日の日記にもあったように何度も一緒にレースを走ったことがあります。彼女は、高校1年生の頃からインターハイに出場しており、やり投げだけでなく、リレーや400mHなど、多くの種目に出場してマルチに活躍していたのが印象的でした。現在は、理工学部での多忙な勉学と競技を両立させながら、日々努力を重ねています。その姿を見ると、高校時代に感じた印象と変わらぬ芯の強さを感じます。彼女の強さはまさにそのひたむきさにあると思っています。
サムネイルは、本日より行われています日本選手権の様子です。
私自身も本日、女子400mH に出場させていただきました。昨年はU20日本選手権と同時開催で、私はU20のカテゴリーで出場しました。その際に見た日本選手権は、パリ五輪の選考会も兼ねていたため、会場全体に緊張感と張り詰めた空気が漂い、見ている側にまでその雰囲気が伝わってくるほどでした。全国の舞台へ勝負をしに行くのが初めてだった当時の私にとって、その空気は非常に衝撃的であると同時に、不思議と心地よかったのを覚えています。そして、「私が戦いたい、勝ちたいのは、まさにこの舞台だ」と、強く思いました。今日その舞台で走れたことが幸せでした。ですが、昨年思い描いたような日本選手権にはならず、悔しい結果に終わってしまいました。3月末から怪我で走れない日々が続き、ボロ負けの日本選手権でしたが、ここがまたスタートだと思って精進して参ります。
初めての部員日記ということで、自己紹介をさせていただきます。私は埼玉県所沢市で生まれ育ち、上山口中学校、埼玉県立所沢西高等学校を経て早稲田大学に参りました。生まれてから一度も所沢市を離れたことがなく、今も毎日自転車で通学しています。地元出身ということもあり、同期や先輩方から美味しいご飯屋さんを聞かれることがよくありますが、実のところ私はほとんど外食をしません。私にとって一番のごちそうは、やはり実家のご飯です。私が決めた道を応援、サポートしてくれた家族には本当に感謝しています。何も否定せず自分のやりたいように、といつも背中を押してくれた両親のおかげで今の私がいると思います。
同期の多くが陸上競技に取り組んでいた小中学生時代、私はバスケットボールに親しんで育ちました。今では団体競技をやっていたことが不思議なくらい、陸上競技の個人競技である部分にとても魅力を感じています。バスケットに取り組んでいた当時から走ることが好きで、自信もありました。特に長距離走が得意で、中学3年生の夏にバスケ部を引退したあとは駅伝部に所属し、走る毎日を過ごしていました。ただ、その頃は陸上競技についての知識が全くなく、駅伝大会当日も、軽くジョグをして、ランジを何回かやっただけでレースに臨むという、アップとも呼べない準備で走っていました。今思えば、ただただ走ることが好きだったのだと思います。
本格的に陸上競技に取り組み始めたのは高校生になってからです。
とはいえ、高校2年生の5月までは、今の専門種目であるハードルは体育の授業で何回か跳んだことがある程度で、競技としての経験はありませんでした。当時は800mを専門としており、高校2年生の総体では県大会の800m準決勝敗退、400m予選敗退という結果に終わりました。そんな私がここまで成長できたのは、高校2年生の春に出会った、人生の恩師とも呼べる先生の存在があったからです。先生はその年に新しく陸上競技部の顧問として赴任され、私の「もっと上を目指したい」という気持ちを汲み取ってくださり、400mHへの転向を勧めてくれました。私は先生の言葉をきっかけに、高校2年生の6月からハードルに取り組み始めました。それからの毎日は、発見の連続でした。
私は他の選手と比べて明らかに歴も経験も少ないです。でも、だからこそ"他と違って面白い"と、何一つ結果が出ていなかったあの頃から、自分の未来にワクワクしていました。これまでの経歴にどんなに差があっても、戦うときには負けたくない。その思いで、練習ではもちろん、見えない誰かや自分自身に勝つことをとにかく徹底してきました。「他の選手はここまでしていないかもしれない」と思えるような生活面にも手を伸ばしてみたり、あえて"普通でないこと"に挑戦することが、とにかく楽しくて仕方ありませんでした。そんな日々の積み重ねの結果、種目転向からわずか1年で、ジュニアカテゴリーではありますが、日本代表として世界の舞台に立つことができました。結果は、ただ舞台に立つだけになってしまい、勝負することはできず、まだまだ満足はできません。ですが、自分がやってきたことがひとつの形になり、それが大きな自信になりました。
いつでも二人三脚で共に走って戦い、時には叱ってくださり、「陸上競技は奥が深く、正解がない」という本当の面白さに気づかせてくれた先生には、心から感謝しています。実は、先生と私は中学校・高校ともに同じ出身校で、何か特別な縁を感じています。
振り返ってみれば、あの高校2年生の夏こそが、私の陸上競技人生の本当のスタートだったように思います。
「一番以外は全部負け」
これは私のモットーです。どんな舞台であっても、負けることほど悔しいことはありません。インターハイやU20日本選手権、国民スポーツ大会など、昨年は私にとって初めての大舞台ばかりでしたが、「走るからには一番を獲る」という一心で戦ってきました。しかし結果は2位や3位、5位と日本一を目の前に、頂点に届くことはありませんでした。U20世界選手権では予選一本で終わってしまい、どの大会を振り返っても、今でも悔しさが蘇ります。ですが、あの時の負けがあったからこそ今の自分があると胸を張って言える日が来るように、日々自分と向き合い続けています。
私には絶対に成し遂げたい夢があります。自分が一度でも叶えたいと思った夢のために、誰に否定されても、どんな壁が立ちはだかっても、私は諦めずに走り続けます。
本日の私の部員日記をもって新入生での日記リレーは終了します。明日はマネージャーブロックの眞下さんにお願いしました。快く引き受けてくださり、ありがとうございます。眞下さんは、私が入部前に練習に参加した際から、私のスパイクに興味を持って話しかけてくださいました。人見知りの私にとって、初対面の方と話すのは得意ではないのですが、自分の好きなことについての話題だったこともあり、とても話しやすかったことを覚えています。今思い返すと、スパイクという共通の話題だけでなく、あのときの話しやすさは眞下さんの人柄によるものだったのではないかと感じています。明日はよろしくお願いします。
長い文章でしたが、最後までお読みいただきありがとうございました。厳しい暑さが続いておりますので、体調にはお気をつけてお過ごしください。明日、明後日と、引き続き国立競技場にて日本選手権が開催されます。競走部からも多くの選手が出場予定ですので、ぜひ早稲田大学への温かいご声援をよろしくお願いいたします。
それでは、失礼いたします。