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西徹朗:今日を進むための力

こんばんは。林美希から引き継ぎました、ハードルブロックの西徹朗です。
私は林美希のことをライバルだと思っています。競走部において私は彼女の先輩であり、また同じ直線のハードル種目でも2人の走る距離やハードルの高さは違います。これらは私の力では変えようのない事実として存在しています。ですが、ハードルが速くなりたいという考えの上では、私たちは対等です。種目とか距離とか関係ありません。だからこそ、彼女が試合に出るところまで戻ってきたことは、私にとっても大きな刺激となりました。
もちろん、”林美希”という選手は再び試合に出られるようになった段階で満足するような器ではありません。彼女の目はもっと先、日本選手権の決勝、あるいはもっと上のレベルを見つめています。怪我をした部位が部位(舟状骨)なので、彼女の持ち味であるスタートから1台目までのリズムアップや、長身を活かした流れるようなハードリングとは最近ご無沙汰しています。ですが、まともにハードルを走れるかどうか分からない、痛みが再発するかどうか分からない状態から、試合に出場することを決断した今、それらは彼女の障壁ではありません。直ぐにでも、怪我をする以前よりも強くなって戻ってくるでしょう。そう思わせる強さが彼女にはあります。私も勝てるよう頑張らなければなりません。まずはPBを抜かします。
「足(脚)治った?」
練習の時。林に何度そう声をかけたか分かりません。また、他の怪我人たちにも同様に。
いつから私がこの言葉を発するようになったか、詳しくは思い出せません。今年に入って以降かもしれないし、もっと前からかもしれません。
怪我をしている時は、暗く長いトンネルの中にいるような気分になります。もちろん、我が競走部には優秀なトレーナーが揃っているので、怪我からのアフターケアは完璧です。ですが怪我からの回復過程であるリハビリは基本的に自分との戦いです。競走部にトレーナーが揃っているとはいえ、リハビリの機能を持つ病院が多くあるとはいえ、彼ら彼女らも1人に付きっきりというわけにはいきません。選手ひとりで自分と向き合う時間のほうが圧倒的に多いです。本当に自分の弱点が改善しているか分からない、怪我の箇所が修復されているか目に見えない中で出来ることを増やしていく作業は、さながら高層ビルに渡された鉄骨を渡るような心持ちです。ふとした瞬間に痛みがぶり返し、順調にリハビリが進んでいると思っても少し前の状態に逆戻りする恐怖とも隣り合わせ。リハビリの間にも他の選手たちは練習を積み重ねさらに強くなっているという焦り。怪我をしている時は、普通に練習をしている時の何倍も神経を擦り減らします。だからこそ他者からの声掛けが力になる、私はそう思います。
では何故、「脚治った?」と聞くのか。
これはあくまで、私のエゴと呼ぶしかない理由です。私が怪我をしてる時、仲間にこういった声をかけて欲しいと思うから、それだけです。特に受傷直後だったり、ジョグも出来ない状態の選手にこんな言葉をかけるのは少々馬鹿らしくも思えます。何なら笑い飛ばしてください。「馬鹿らしいな」と一瞬思うだけでも、自分が悩んでいることが今までより少し小さく見えてきます。そうしたら目の前のことに取り組むハードルが少しは低くなると思います。
私は医者やトレーナーではないし、他者と全く同じ怪我をしているわけではない。怪我という長く暗いトンネルを歩く人たちに対して、出口を示したり一緒に歩いたりは出来ないかもしれない。でも選手として、そのトンネルはそんなに暗くないよ、死ぬほど長くはないよ、と一瞬だけでも考えさせられるかもしれない。その可能性に私は賭けます。
これからも「脚治った?」という言葉を私は選び続けます。怪我人がほんの少しでも前向きにリハビリに取り組めるように、怪我をしていた自分を救うために。
明日は短距離ブロック2年の伊橋にお願いしました。彼は私が最も「脚治った?」と聞いた人間のうちの一人です。また、昨年4月から約半年間寮で同部屋でした。と、意気揚々と書いてみたものの、私は彼についてあまり深くは知らないようです。知っていることといえばせいぜい全身がバネみたいな走りをすること、勉強が得意なこと、スマブラが強いこと、部屋が汚いこと、これくらいしかないかもしれません。それもこれも、彼のせいです。彼は入学以来、大小さまざまな怪我を繰り返しています。彼が万全の状態で走れたことはどのくらいあったでしょうか。私が「脚治った?」と聞く回数にも通づるところです。ですが、彼は怪我というトンネルに何度迷い込んでも、必ず出て来ようとします。七転び八起きを体現しています。その姿には感銘を受けます。また、走れている時の伊橋の走りは猛者揃いの競走部の中でも目を惹きます。まるで膝から下全部がアキレス腱かのようなバネバネしさ。まるで翔ぶように走る彼の姿は、ずっと見ていたくなります。彼もここで終わっていい器ではありません。彼がいるべき場所はリハビリをするための橋の下ではなく、走るためのグラウンドであり、臙脂を纏って走る対校戦の舞台です。私はその姿を見たい、そう望んでいるひとりです。残りの秋シーズン、伊橋璃矩の名前を全国に轟かせて欲しいです。
毎度のこと、更新が遅くなってしまい大変申し訳ございません。それでは失礼します。