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部員日記

西徹朗:菅平よ永遠に

 こんばんは。棚井より引き継ぎました、ハードルブロック4年の西徹朗です。 棚井とはゼミで一緒だった印象が強すぎて、インドカレーの話を昨日の部員日記で思い出しました。ゴメンネ。


 棚井は豪快という言葉が競走部内で一番似合う人間です。一見投擲選手かと見間違えるほどの大きく鍛え上げられた上半身、後輩である佐々木らを子分と呼びいろんな場所に連れていくところ、月曜のゼミの前に絶対に部屋のどこかしらで昼寝をしていること。みんなの中で漢=棚井という等式が成立するくらいには、彼の生き様はみんなの知るところになっています。

 棚井との1番の思い出は、2年生の秋に出場した国際武道大記録会です。その場にいた早稲田の選手、武大の選手全員が見守る中で棚井は見事自己ベストを更新し、関東インカレの標準記録を突破しました。入学当初フィールドの先輩が4年生しかおらず、1年生うちからフィールドの最上級生という立場を背負わされることになって、相当なプレッシャーがあったと思います。だからこそ、あの跳躍には大きな価値があったし、あの瞬間に立ち会うことができて本当に良かった。私は跳躍ブロックではないけれど、自分のことのように嬉しかったです。

早慶戦でもその時に負けず劣らずの大記録と感動を期待しています。

あと、卒論頑張ろう。お互いの未来のために。


 

 まずは、この文章を読んでいる方々に感謝を申し上げます。私の競技を4年間見ていただき、そして私の部員日記を4年間読んでいただき、本当にありがとうございました。私の目からは見えない多くの人々に私の競技生活が支えられていたことを強く感じます。

 

 競走部で陸上競技に取り組んだこと。これは私の人生において他の何事にも変えられない大切な時間でした。そして、この先の人生においてもそうであり続けると思います。競走部で出会った仲間(先輩、同期、後輩)、競走部での陸上競技を通して出会った人々たちとの縁。また陸上競技という個人のスポーツの中での、関東・全日本インカレ等の対校戦に向かってチーム全員で進んでいく、というチームスポーツとしての側面を知れたこと。改めて、自分ひとりだけでは陸上競技を続けることはできなかったと思います。これらは今後の私の人生での大きな財産です。

 

 

 この4年間で「陸上競技をやり切った」、「悔いはない」と本心から言いたかった。

 

 でも今の自分にそれはできない。

 

 インカレでの優勝や国際大会での日本代表、これらを達成することができなかったこと。それ以上に陸上競技に、110mHという種目に向き合ってきた重さや真剣さが、それらを手にした選手たちと比較すると、自分は劣っていたこと。これらが今の自分に重くのしかかります。

 陸上競技は海のようなものです。浜辺で楽しむ人がいたり、魚を獲ってビジネスを行うものがいたり。そして、記録という未知の世界を求めてどこまでも深く潜る人がいます。この海に底はありません。人々が記録を追い求める限り、海はどんどん深くなります。

 私は競走部での4年間、この海を潜り続けました。いや、正確には潜り続けてはおらず自分の中で勝手に底を決めつけていたかもしれません。前述の通り、この海に底はありません。7月初めの日本選手権、私は準決勝で敗退しました。この舞台に向けて自分の中で精一杯やったと思っていましたが、スタートラインに立った時、私の中にあったのは自信ではなく不安でした。自分のやってきたことを信じ切ることが最後までできませんでした。決勝に残った選手、さらにその中で東京世界陸上の出場権を勝ち取った選手。ウォームアップを見ていても、レースを見ていても、彼らの一挙手一投足からは今まで積み重ねてきた物の重みを感じました。彼らはひたすら自分の走りを、進化を追い求めて底がないと信じて海を潜り続けていたのです。私にはそれができなかった、できていると思い込んでいた。現時点での彼らとの埋められない差がそこにはありました。


 でも、このまま終わりたくはありません。

 私はもう一度、陸上の海に飛び込みます。自分の海に底がないと信じて。自分が走ることを止める日まで、深いところを求め続けます。

 そして、さらに強くなって帰ってくることを約束してこの日記を閉じたいと思います。何年掛かるか分かりませんが、待っていてくれる人がいれば幸いです。


 

 明日はトレーナーブロック長の玄應にお願いしました。玄應がいなければ競走部はこんなに円滑に回っていなかったし、私も怪我をした時に彼女に何度も助けられたかわかりません。

 玄應は選手たちから、後輩のトレーナーたちから絶大な信頼を集めています。それもこれも、玄應の人格が成せる業だと思います。トレーナーとして確かな知識と豊富な経験を持っていること、時には選手の外という立場から冷静な意見を出すこと、どんな人にでも積極的に話に行くこと。みんなから親しまれない理由はどこにもありません。


 ですがハッキリ言います、玄應の第一印象は覚えていません!1年生の頃は玄應とほぼ話したことがありませんでした。正直今となっては考えられない話ですね。話すようになったのは2年生になって、私が教職課程の授業を取るようになって玄應と同じ授業を受けるようになってからだと思います。器械運動、フィットネスⅡなど、普段はトレーナーとして選手を支える玄應が動いている姿をたくさん見られるのは教職を受けていたことの特権だと思います。

 玄應は箱根駅伝まで競走部に残ります。長距離メインになって関わる回数は減るかもしれないけど、今までと同じように話すことができたら嬉しいなと思います。


 

 最後までお読みいただきありがとうございます。

それでは、失礼します。